自分の最高の鏡は「他者」
しかし、このように考えれば、ジャーナルをつけること、自分自身に想いを巡らせて「書く」作業は、何も今、若者だけに刺さるものであるとはいえないだろう。
社会が流動化し、「ハラスメント」を怖れるあまり、人間関係をかつてより薄くライトにしていかざるを得ないのは大人たちも同じではないか。
最高の自分の鏡は他者である。しかし、他者との間にオブラートをおかなければならないこの時代には、時に自分自身を自分の鏡にしなければならなくなることもある。
「書く」ことは世代を超えたムーブメント
実際、日本にもこの手の「ジャーナリング」ものはすでに紹介されている。
たとえば『書いたら燃やせ』(海と月社)は、とくに大きな版元からというわけでもなく、めだった宣伝もしていないのに、口コミだけで日本でもヒットし、版を重ねている。
「ジャーナリング」は世代を超えて、この時代に求められているのだ。
であるならばと、S氏のお誘いに応じて、僕はこの本の翻訳を手がけることになった。さて、この本がどう日本で受け入れられるか、僕自身が誰よりも注目している。