シャドウはその人物の「陰影」そのもの

シャドウの強さ、濃さにはむろん、広いスペクトルがある。子ども時代の虐待体験に起因する深いものから、ちょっとした罪悪感や羞恥心といったものまでさまざまだが、「シャドウ」が存在しない人はいない。

ケイラ・シャヒーン著、鏡リュウジ訳『シャドウワーク・ジャーナル “本当のあなた”になるためのガイド』(すばる舎)
ケイラ・シャヒーン著、鏡リュウジ訳『シャドウワーク・ジャーナル “本当のあなた”になるためのガイド』(すばる舎)

いや、シャドウを「陰影」とみなすなら、シャドウこそ人の個性や人格的深み、味わいの一要素とさえいえるだろうけれど……実社会の中でシャドウに振り回されてばかりではまずいことは確かである。

では、どうすればいいのか。

自らの「シャドウ」と向き合うためのメソッド、つまり「シャドウワーク」には、さまざまな方法がある。

シャドウの強度が極端に強い場合には、臨床心理士などこころの専門家による支援が必要だろう。そこまででない場合には瞑想、ヨガ、あるいは一人旅といったこともいいかもしれない。

心を整える「ジャーナリング」

中でももっともシンプルで、効果的なのが「ジャーナリング」だ。

難しいことではない。自分で自分に向き合いながら、心に浮かんでくることをノートに書き出していくのだ。

自由帳に書いていってもいいのだが、それはなかなか大変なので、自分の心に問いかけるためのヒントがあるととてもスムーズだ。

たとえば、次のような具合に。

「子どものころに“するな”と言われていたことは何?」
「子どものころの自分にかけてあげたい言葉は?」
「あなたの中の怒りを色でたとえるならどんな色?」

お気づきのように、アメリカで大ヒットしている『シャドウワーク・ジャーナル』にはこのような「問い」や「ワーク」がたくさん収録されている。