浜松周辺では民家が全滅した

「安政」という元号からは、安政5年(1858)に大老の井伊直弼が尊王攘夷運動を弾圧した「安政の大獄」を連想する人が多いと思う。だが、「安政」という元号を冠したできごとにはもうひとつ、より広範囲に甚大なダメージをあたえたものがあった。地震である。

正確には元号は安政ではなかった。嘉永7年(1854)11月4日の午前9時から10時ごろ、駿河湾から遠州灘、紀伊半島南東沖一帯を震源とする、マグニチュード8.4と推定される巨大地震が発生した。「安政東海地震」である。嘉永時代の地震になぜ「安政」という元号を冠しているのか。その理由は追って説明するが、ともかく、この地震は南海トラフ巨大地震のひとつだとされている。