誰かのための仕事は時に、自分のための仕事よりずっと頑張れるもの
人を幸福にすることは、時に自分を幸福にすること以上に、心に充足感を生むもの。それは人間の本能なのかもしれません。誰かのためにする仕事は時に、自分のためにする仕事の、何倍ものエネルギーを湧き出させてくれるものです。
尊敬する人が自分にかけてくれる期待。それは時として重圧も生むかもしれませんが、深い意欲を呼び起こし、否応なく燃料を注いでくれるでしょう。
もし今あなたが、「この人の期待に応えたい」と思える上司のもとで働けているのなら、あるいは部下にとってそんな存在の上司であるのなら、それはとても尊く、幸せなことだと思います。
若手作家たちの育成に注力していた蔦重は、若きクリエイターたちに期待をかけることで、彼らの意欲に火をつけ、才能を最大限に引き出していました。
「とにかくまずは書いてみな」。これは蔦重が日頃、口癖のように彼らに発していたであろう言葉です。相手のポテンシャルを信じていなければ、書かせるまでもありません。まずは書せてみるという姿勢は、よいものが上がってくる可能性に期待をするという気持ちの表れでした。名もなき若者たちは、すでに敏腕編集者として名を馳せていた蔦重に作品を披露するチャンスを与えられ、やる気をみなぎらせたことでしょう。
ちなみに、弥次さん・喜多さんのコンビで有名な『東海道中膝栗毛』の作者、十返舎一九もまた、蔦重に育てられた作家のうちの一人です。
一九は駿河の下級武士の生まれで、幼い頃から武家に奉公に出ていたようですが、三十歳のときに江戸に移り、作家志望の従業員として蔦重の店で住み込みを始めました。
蔦重は一九を店員として雇う傍ら、いつか作家として独り立ちできるよう、執筆の機会を与えながら彼の育成に励んだのです。
一九は絵も文も書けたうえに頭の回転が速く、とても有能でした。蔦重はそんな彼の未来に、大きな期待を寄せたことでしょう。
当時、江戸で流行していた心理学の要素を盛り込んだ物語、『心学時計草』を皮切りに、次々と作品を創作するチャンスを与え、作家としての地位を不動のものにさせていきました。
『東海道中膝栗毛』は、残念ながら蔦重の没後に刊行された作品ではありますが、今なお愛されるこの作品の誕生の礎となったのは、蔦重のもとで、その熱い期待を一身に浴びながら創作活動に励んだ日々だったことは間違いないでしょう。
心から尊敬する人が向けてくれる期待感ほど、魂を燃やしてくれるものはありません。「この人に喜んでほしい」という思いを込めて生み出した作品だからこそ、結果的に、ほかの大勢の人たちを喜ばせることになるのです。
もしあなたに今、育成している人がいるのなら、もっともっと、相手に期待をしましょう。そしてその想いを、余すことなく伝えましょう。その顔は一瞬にして輝き、やがて、めざましい成長を遂げていくことは明白です。