「自分は認められていない」と思ったときに人は不満を募らせる

「承認欲求」という言葉が、近年とみに用いられるようになりました。たとえばSNSで「いいね」の数を競うような、自己顕示欲の強い人を揶揄するときに使うようなイメージが強く、あまりよい印象を持たない方も多いかもしれません。

けれど、「すごいと思われたい」「みんなに認められたい」という想いは、人としてごく自然なもの。古今東西、人類が持ち続けてきた、普遍的な感情です。

幼少期からさまざまな人間模様のなかに身を置いていた蔦重は、人がどんなことに憤りを感じ、どんなことに心を満たすのかといった、人の心の機微にはさぞかし敏感だったことでしょう。

だからこそ、多くの人が持ちうる「認められたい」という想いもよく理解し、そこに刺さるような言動や立ち居振る舞いを意識していました。

人は誰しも、自分を蔑ろにされたり、軽視されたりしたと感じたときに不満を抱くものです。逆に言えば、相手が自分を尊重し、認めてくれていると感じられれば、そこまで負の感情は募りません。

蔦重はきっと、以下のようなさまざまな心配りによって、相手を尊重する気持ちを表明していたことでしょう。

・出会った人の名前はすぐに覚え、親しみを込めて呼ぶ
・相手が何を望んでいるかを常に考え、相手を幸せにするためにできることを追求する
・断るときほど、返事は早く。期待だけ持たせて返答を長引かせるということがないようにする
・約束は絶対に守るようにし、相手から自分への信頼を踏みにじらない
・根底に「情」を持って相手と対峙するようにする
・人の言葉を否定しない。自分の意見とは異なると思っても、すでに知っていることであっても、興味を持って耳を傾ける
・その人の大切にしている価値観を理解する
・常に「お蔭様」の精神を忘れず、感謝の気持ちを持って向き合う

相手を認め、尊重しているという気持ちを表すことで、その人の不安や不満は取り除かれていきます。

目の前のことに懸命に打ち込むほど、つい自分のことばかりに意識が集中してしまうのは、誰しも身に覚えがあるでしょう。だからこそ、いかなるときでも周囲に気を配り、目の前の相手のことを大切にできる人は、とても稀有な存在であり、周りが放っておきません。

よい仕事、よい人生は、人との縁によって生まれるもの。自分一人でできることなど、たかが知れているのです。そのことを熟知している人は、自ずと素敵な盟友たちに恵まれていくことでしょう。

弟子の英泉が描いた北斎の肖像画
弟子の英泉が描いた北斎の肖像画。渓斎英泉「為一翁」『戯作者考補遺』より(写真=国立国会図書館デジタルコレクション/CC-PD-Mark/Wikimedia Commons