まさかの敗戦
天正13年2月5日、家康は、三河惣国の人足で三河吉良城の修築を実施し(『家忠日記』)、秀吉との対決に備え始めた。家康が秀吉との決戦に備え、修築したと推定される城は、三河・遠江・駿河の各地に及んでいるといわれる。
緊迫したなか、家康は天正13年4月から6月7日にかけて、甲斐に出陣し、甲府に滞在した。これは真田説得のための出陣であったといわれ、軍事力を背景に昌幸に圧力をかけたのであろう。家康は、昌幸説得のため使者を派遣したが、交渉は決裂し、遂に昌幸は徳川氏から離叛したのである。
真田昌幸は、上杉景勝と交渉し、7月、対徳川戦のための支援を取り付けることに成功した。家康は、自身は浜松城に戻っていたが、遂に甲斐・信濃の軍勢を真田攻めに出陣させた。閏8月、徳川軍は、上田城に籠城する真田昌幸・信幸父子を攻めたが敗退した(第一次上田合戦)。
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