日給4000円で家賃を滞納、「人生詰んだ…」

「俺、このままでいいのかな……」

大阪、深夜の倉庫街。荷物整理の日雇い仕事をこなしながら、19歳の守時さんは絶望していた。

守時さんは1986年に広島県に生まれ、岡山県倉敷市で育った。高校卒業後、愛知県の自動車部品工場で契約社員として働いたが1年で退職。19歳で「音楽がしたい」と高校時代のバンド仲間を頼って大阪に流れ着いた。しかし大きな夢も志もなく、流されるまま怠惰に日々を過ごした。派遣仕事で食い繋ぐも、給与は業者にピンハネされ、日給1万円の仕事が4000円にしかならない。電気が止まり、家賃を滞納した。

「人生詰んだ。マジで地獄や」

ただ時間だけが過ぎていった。這い上がるための金も、気力もなかった。

一念発起で大学受験を決意

20歳になった頃、「さすがにこのままではまずい」と思い、大学に行く決心をする。アルバイトをしながら独学での受験勉強がはじまった。「偏差値38の高校をギリギリで卒業した身」にはとてつもなく大きな目標だった。

手始めに掲示板サイト「2ちゃんねる」で効率的な勉強方法を検索。ゴールから逆算して綿密な学習計画を立てた。真面目に勉強をするのは中学生ぶりだ。小学6年生の教科書から学び直した。

「勉強のやり方すらわからないのに、頼れる人が誰もいないことが一番つらかったです。でももうやるしかないから、必死でしたね」

朝6時に起きて図書館に行き、1日6〜7時間を勉強に充てた。夕方から仕事に行って日付を跨いだ深夜に帰ってくる。周囲からは「アホの守時が大学なんて受かるわけない」と笑われた。孤独のなか人生を変えたい一心で、勉強とアルバイトと、わずかな睡眠をとるだけの日々が1年半続いた。

2008年2月、関西大学社会学部を受験した。滑り止めを受ける余裕はない。単願受験の一発勝負だった。

「受かるかどうかは、結果が出るまで本当にわからなかったです。結果論ですけど、壮大な計画でも適切な戦略と実行力があれば、成果は出るんだという経験と自信は、その後の人生に大きく影響していると思います」

結果は無事、合格。ようやく手にした人生立て直しの切符だった。