火の車の須崎市から100万円の予算が下りた
「これ、確認お願いします!」
新人が持ってきた企画書なんて読んでもらえないかもしれない。一抹の不安を感じながら企画書を上長に提出した。配属から3カ月後の2012年7月のことだった。
意外にも、反応は上々だった。分厚い企画書を読んで「いいじゃん!」と言ってくれた上司は「ふるさと納税による基金活用事業提案募集制度」の検討委員会に企画を推薦してくれた。厳しい市の財政下で予算がつくことはほぼ不可能と言われていたが、来期予算として100万円が守時さんのプロジェクトにあてがわれることになった。
どうして企画は通ったのだろうか。守時さんは「委員会で一番偉い総務課長と喫煙所で一緒だったから」と笑う。
「いわゆるタバコミュニケーションですね。あとは、『何かしないと、マジでまずい』という思いが職員にあったんだと思います。民間出身の市長も理解がある人で、よくわからない新人が持ってきた企画を心から応援してくれました」
一方で、市役所内には「いまさら、ゆるキャラ?」と否定的な意見も多かった。そこで守時さんは、プロジェクトの理解を広げるために地域を巻き込んでいく作戦を取る。
実はしんじょう君には2002年生まれの「初代」がいる。新ゆるキャラ作りは“既存キャラのリニューアル”という名目ではじまり、市民参加型のデザイン総選挙も実施した。市民の応援を受け企画は着々と進み、守時さんが入職2年目となった2013年4月28日に現在のしんじょう君が誕生した。
初めてしんじょう君が市役所にやって来た日、守時さんは市長からこんな言葉をかけられた。
「守時、これで伝説を作りなさい」
片道13時間かけて東京のイベントへ
まちの期待を背負った守時さんとしんじょう君は、各地のイベントに精力的に出かけた。
イベントは基本的に土日に行われる。金曜日に須崎市を車で出発して、全国各地のイベント会場へ向かう。会場が東京の場合は片道13時間のロングドライブだ。土日のイベントを終えたらまた車を走らせ須崎市に戻ってくる。
守時さんはすべての週末をしんじょう君のアテンドと車の運転に費やした。生身の人間には(そして5歳のカワウソのゆるキャラにも)ハードな日々だ。言い出しっぺとはいえ投げ出したくなることはなかったのだろうか。
「めちゃくちゃしんどかったですよ。でも僕は人より4年も遅れて社会に出たんです。だから人よりも物理的に3倍も4倍も働かないと『普通』にはなれないと思っていて。とにかくがむしゃらでしたね」
イベント出演と合わせてTwitterとブログも開始した。この頃、特に意識したのが「人脈作り」だ。イベントで出会ったキャラクターと一緒に写真を撮ってSNSにアップしたり、されたりすることで、人気の相乗効果を狙ったのだ。
当時そうした動きは珍しく、ゆるキャラとしては後発ながらしんじょう君のSNSアカウントはじわじわとフォロワー数を増やしていった。