小倉城を見ると悲しくなる

たとえば小倉城は、かつては紫川の河口近くに五重の堀が囲み、総構の周囲は約7キロにおよぶ壮大な城だった。現在、公園として残されているのは、本丸および南方の松の丸、北方の北の丸、それらを囲む堀など、かつての城域の一部にすぎない。それだけなら多くの日本の城郭とくらべて、特別にひどい状況とはいえないが、訪れて驚かされるのは、周囲から受ける圧迫感である。

北九州市役所から望む小倉城庭園

北九州市役所から望む小倉城とリヴァーウォーク北九州(右)(写真=Keramahani/CC-BY-SA-4.0/Wikimedia Commons

本丸北側の二の丸跡には、リヴァーウォーク北九州など派手な色彩の奇抜な建築が壁のように建ち並び、残された城内のどこにいても視覚に飛び込んできて、歴史的景観を強烈に威圧する。

しかも、それらのビルに入居しているのが、放送局や新聞社、劇場など、文化に携わり、かつ公共性が高いはずの組織だから驚かされる。そのうえ、市庁舎や警察署までもが歴史的景観を妨害しており、日本という国の文化度を象徴しているようで悲しくなる。

整備されるべき面は城だけではない

史実に忠実な建造物の復元や、城域全体の復元整備。それらが重視されるようになったことは評価できる。しかし、そこにとどまって、歴史遺産が周囲の環境から浮き上がっているようでは、城は博物館の展示物と変わらなくなってしまう。

香原斗志『お城の値打ち』(新潮新書)
香原斗志『お城の値打ち』(新潮新書)

天守や櫓、門など点の整備だけでなく、点と点を結んだ線、線で囲んだ面の整備にも意識が向くようになってきた、とすでに記した。それはいい。しかし、整備されるべき面は城外にまで広がるのが理想である。

埋立地をもとの海に戻すのは難しい。しかし、熊本城の復旧で石垣を積み直す際の、もとの姿を忠実に復元するための徹底したこだわり。復旧するだけでなく、以前より強度を高めようという姿勢と、それを可能にする技術。そうした意識と取り組みが、城郭を取り囲む環境にまで向くようになれば、悲劇的であった日本の城の歴史に、少しは光明が差すことにもなるだろう。

そのときには刹那的な利を追わずに、100年先まで見据えて取り組んでほしい。それは地域だけでなく、日本全体の誇りになる。日本の魅力を本質的に高めながら海外にも発信すれば、為替の動向に左右されることなくインバウンドを呼び込める力にもつながるだろう。

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