欧州との決定的な違い
いまは丹生島を歩いても、海が遠いうえに、眼下には断崖の直下から住宅がぎっしりと建っている。周囲の海は昭和42年(1967)までに、すっかり埋め立てられてしまったという。だが、いまも海に浮かぶ島のままだったら、どれほど壮観だったことだろう。内外から観光客が引きも切らず押し寄せ、みなその美しさに感嘆の声を上げたにちがいない。
臼杵城も城内の整備が進み、埋められていた堀が復元されたりもしている。また、保存状態のよい城下町の景観整備も進んでいる。むろん、それは評価できるが、島の周囲を整備して、かつてのような海に戻すことは永久にできない。
ヨーロッパでは、フランス西海岸のサン・マロ湾上に浮かぶ著名なモン・サン=ミシェルはいうまでもなく、海城や海に面した城塞都市は、周囲もふくめて往時の環境が伝えられている例が多い。一方、日本ではいまも石垣が波に洗われている城は、萩城や唐津城など、ごく一部の例外にすぎない。尼崎城のように、海が遠くなっただけでなく、城の遺構がなにひとつ残っていない海城の例さえある。
歴史遺産を犠牲にする愚行
日本ではバブル期までの土地神話、すなわち地価は必ず上がるという思い込みが象徴しているが、海であれ、湖沼であれ、堀であれ、埋められるかぎりは埋め立てて、あらたな土地を創出することに価値が見出されてきた。土地の創出は富の増大に直結し、ひいては地域や国土の発展につながると信じられてきた。
欧米に追いつき、追い越すことを意識しながら、歴史遺産のおかげで地域が豊かになり、国土の魅力が増す、という発想が欧米にあることには気づかず、短期的な富の増大のために歴史遺産を犠牲にするという愚行を繰り返してきた。日本のこうした姿勢は明治時代にはじまり、戦後の復興期、そして高度経済成長期に拍車がかかった。
本書『お城の値打ち』の最後に海城を取り上げたが、それは海城がとくに問題だからではない。城の周囲の環境が守られていないことを伝えるのに、海が埋め立てられたという事例が好適だったからにすぎない。残念ながら、問題が多い点は海城にかぎらない。
堀を埋め、石垣や土塁を崩して市街化された区域がない城など、世界遺産の姫路城をふくめて日本にはほとんど存在しない。そして、いったん市街化された区域には、高いビルが無節操に建ち、歴史的景観を愛でようにも、そうした建物が暴力的に視界の邪魔をする。あるいは、わざわざ歴史遺産を破壊して生み出した土地が、空き家や空き地だらけという場合も少なくない。