ギリギリ海城の名残をとどめている
藤堂高虎が慶長7年(1602)から、三角州の砂地に築城工事を開始した今治城は、内堀、中堀、外堀と三重の堀で囲まれた輪郭式の城郭で、北側は瀬戸内海に面していた。いまも残されているのは、幅が50~70メートルにおよぶ広い内堀と、それに囲まれた本丸と二の丸だけである。水堀にはいまも海水が引き込まれているため、鯉ではなく鯛が泳いではいるが、海は少し遠くなってしまった。
今治城と同じ伊予に位置する宇和島城も、藤堂高虎の手になる。リアス式海岸である宇和海に突き出た標高77メートルの丘上に、慶長元年(1596)から6年かけて築かれた。
丘陵先端の二方が海に面し、後方三方は海水を引き込んだ水堀に囲まれ、城域が不等辺三角形をした城郭だった。周知のとおり、この丘上には現存12天守のうちのひとつが建つ。だが、堀はすべて埋められ、丘陵の裾を波が洗っていた海もすっかり埋め立てられ、かなり遠ざかってしまった。
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