原点を見失っている
その建築が、天下人の天守であり、江戸城天守にも劣らない伝統建築の最高峰である以上、歴史的空間が再現されることにはいっそうの価値がある。復元の工程は、失われつつある伝統工法を継承するためにも意義があり、完成したあかつきには、日本人の文化的誇りの醸成にもつながるだろう。
じつをいえば、バリアフリーをめぐる問題のほかにも懸案事項はある。名古屋城は国の特別史跡に指定されているため、現状を変更するためには文化庁の許可が要る。それがまだ得られていないのだ。
理由のひとつは、天守台の石垣をいかにして保存するか、という問題について、明確な回答が示されていないことである。また、文化庁は史実を重んじるように求めながら、その価値を広く知ってもらうために活用することと、そのための設備の付加を求めている。
だが、設備を付加することで、元来の構造が変更されるのは避けたい。そこで名古屋市はバリアフリーに加えて防災や避難のための設備を、柱や梁などの主構造を改変させることなく設置することを考えている。そして、それらを撤去すれば、復元天守は比較的容易に本来の姿に戻ることが前提にされている。
それでも、名古屋城天守の木造再建に関しては、バリアフリーに対応できていない、という問題がメディア等でクローズアップされ、世論がネガティブな方向に導かれているのが残念だ。しかし、バリアフリー化について検討する前に考察すべきなのは、なぜ名古屋城天守を木造で復元するのか、という原点についてである。
決して名古屋だけの問題ではない
名古屋市の観光のシンボルをめぐる問題にすぎないなら、あまりうるさいことをいう必要もないだろう。しかし、繰り返すが、名古屋城天守は特別な建築だった。天下人が威信をかけて建てた、江戸城天守と同様の「日本の伝統的木造建築技術の最高到達点」だった。それほどの建築が、ほかの天守とは比較にならないほど正統的で、正確で、精密な復元が可能なのである。
だからこそ、500億円ともいわれる費用を投じる価値があるのであり、巨費を投じる以上は、可能なかぎり史実に忠実に復元し、オリジナルの姿を損なわずに後世に伝える必要がある。史実と異なる部分をもうければ、後世に伝えるべき価値は著しく損なわれてしまう。
『お城の値打ち』第三章で触れたように、復興された小田原城天守は、小田原市当局の要請に応えたばかりに、最上階にかつては存在しなかった高欄つきの廻縁がついてしまった。小倉城天守は破風が一切ないのが最大の特徴だったのに、復興に際して地元商工会の主張を受け入れ、いくつもの破風で派手に飾られてしまった。それらは取り返しがつかない結果を招いている。