連日、テレビやネットに流れる不穏なニュース
アメリカ心理学会によると、現在の10代の米国人は、過去の同じ世代の若者たち以上に大きなストレスを抱えている。
彼らは若いがゆえに高い感受性を持つ。その繊細な心が、毎日のようにメディアに流れる銃乱射事件や自殺、気候変動、不法移民の親と子どもが引き離されていること、セクシャルハラスメントなどに関するニュースに疲弊している。
さらに日本よりも桁違いに高騰している物価や悪化している住宅事情に、将来への不安を強く感じている。
三菱総合研究所の研究によれば、特にコロナ危機以降、そのような不安から日米の若年層の消費動向に極めて対照的な変化が見られるという。
※三菱総合研究所「経済的不安から『倹約化』する日本の若者たち」(2024年6月17日)
どういうことか。繰り返しになるが、人々の間で経済的な不安感が広がり、将来への不確実性が増したと感じているのは、日本の若者もアメリカの若者も同じ。ところが、日本の若年層が経済的不安から「倹約」して消費を「減らす」一方で、アメリカの若年層は、消費を「増やす」行動をとるようになった。それも「少々」ではない。
「破滅的消費」に走るアメリカの若者たち
彼らの消費は、破滅的消費(Doom Spending)と表現される、文字通り生活を破滅に導くような消費行動を取り、これが社会問題にまでなっているというのだ。
将来の不確実性に対して、不安を感じるからこそ倹約する日本の若者に対して、破滅的消費をするアメリカの若者。
この違いから分かることは何か。それは問題の本質が、「不安を感じること」にあるのではなく、「不安を感じた後の行動」にあるということだ。
かくいう私にも不安がある。それも一つや二つではない。先述したフォーイットのアンケートにある項目はもちろんのこと、些細な不安から大きな不安までたくさんある。それも今に始まったことではない。振り返ってみれば子どもの頃から常に漠然とした不安があり、それは50歳を過ぎた今でも変わらない。
こんなことを書くと、「なんだ、あなたは修行を積んで心の不安を克服したお坊さんではないのか」というツッコミが聞こえてきそうだが、すまし顔で「不安などない」と嘯くつもりはない。いくら修業を積んでも不安なものは不安だ。