天皇、皇后両陛下の「癒やし」に
敬宮殿下が4歳だった平成18年(2006)の歌会始のお題は「笑み」でした。天皇、皇后両陛下は次のような和歌を詠んでおられました。
いとけなき 吾子の笑まひに いやされつ
子らの安けき 世をねがふなり
皇后陛下
輪の中の ひとり笑へば またひとり
幼なの笑ひ ひろがりてゆく
当時の天皇、皇后両陛下は、大きな逆風のただ中にいらっしゃいました。天皇陛下は、ご結婚の時の「一生全力でお守りしますから」というお約束の通り、厳しい立場に追い詰められていた皇后陛下をお守りするために、懸命に困難に立ち向かっておられました。
ご懐妊に向けた治療の末に、やっと敬宮殿下がお生まれになった後も、ひたすら「男子」出産を求めてプレッシャーをかける宮内庁サイドの動きが続いていました。それに対して、天皇陛下はギリギリの反撃を試みられました。記者会見の場で「雅子の人格を否定するような動きがあったことも事実です」という衝撃的な発言をされたのです(平成16年=2004=5月10日)。
このご発言によって、ようやく皇后陛下の治療環境が整うことになる一方、ご発言への反発もさまざまな形で広がっていました。そうした険しい日々の中で、敬宮殿下のご存在は両陛下にとって、かけがえのない“癒やし”だったことが、先に掲げさせていただいた和歌からも察することができます。天皇陛下の御製は「吾子」の笑顔に癒やされる、というミクロな私的場面から、一気に「子らの安けき 世をねがふなり」というマクロな公共的願いへと拡大しています。
わが国における究極の「公」の体現者と言うべき“天皇”の立場にふさわしい作品でした。
愛子さまの養育方針
では、政治の無策が原因で、いずれ是正されるべき皇位継承ルールに手がつけられないまま放置され、敬宮殿下の未来が引き裂かれている宙ぶらりんな状態の中で、天皇陛下はご養育にあたりどのような方針で臨まれたのでしょうか。
これについても、天皇陛下のご発言があります。まず敬宮殿下がお生まれになった直後のお誕生日に際しての記者会見で、「愛子」というお名前と「敬宮」というご称号について、以下のように述べておられました(平成14年=2002=2月20日)。