「敬宮愛子」という名前に込められた願い
「子供の命名に当たっては、漢文学や国文学の専門の方々から、複数の候補を挙げていただきました。子供は自分の名前を選ぶことはできませんし、また、名前はその人が一生共にするものですので、私たち二人も、真剣にそれらの候補の中から選びました。選考に当たっては、皇室としての伝統を踏まえながら、字の意味や声に出した響きが良く、親しみやすい名前が良いというふうに考えました。……(中略)候補の中では、孟子の言葉が内容としても良いように思いました。また、敬と愛の二文字が入っているのも良いと思いました。いつの時代もそうですが、とかく人間関係が希薄になりがちな今の世の中にあって、人を敬い、また人を愛するということは、非常に大切なことではないかと思います。そしてこの子供にも、この孟子の言葉にあるように、人を敬い、人からも敬われ、人を愛し、人からも愛される、そのように育ってほしいという私たちの願いが、この名前には込められております」
皇室では直系のお子さまにはお名前のほかにご称号が定められます。敬宮殿下の場合、お名前が「愛子」、ご称号は「敬宮」でした。高貴な方のご本名を直接お呼びするのをはばかる気配りに由来します。傍系の宮家のお子さまの場合は、たとえば秋篠宮家の場合でもお子さま方は皆さま、ご称号をお持ちではありません。私自身は、敬宮殿下が唯一の直系の皇女でいらっしゃるという皇室での位置づけを重んじて、「敬宮」殿下とご称号でお呼びすることが多いです。
前にも少し触れたように、世間では「愛子さま」とご本名でお呼びするのを多く見かけます。それも敬愛の気持ちでお呼びしているのですから、もちろん、とくに目くじらを立てるようなことではありません。念のために『孟子』の関連箇所を紹介しておきます(「離婁章句 下」)。
《仁者は人を愛し、礼ある者は人を敬す。人を愛する者は、人つねにこれを愛し、人を敬する者は人つねにこれを敬す》(仁徳ある者は人を愛し、礼儀ある者は人を敬するのであって、われ人を愛すれば人も常にわれを愛し、われ人を敬すれば人も常にわれを敬するはずである。穂積重遠訳)
天皇、皇后両陛下の敬宮殿下のご養育についての基本的な考え方は、このお名前とご称号それ自体に込められていたはずです。しかも敬宮殿下はその両陛下の「願い」に沿って、ご立派な成長をとげられているように見えます。