療養をかねて漱石と52日間のルームシェア

新聞記者としての仕事や句作を続けていた子規の転機は、明治27(1894)年の日清戦争でした。子規は従軍記者として戦場である中国東北部・遼東りょうとう半島へと赴き、戦地の様子を報道しましたが、中国から帰国する途中、船上で大量に喀血をして、歩くこともままならない重体となってしまいます。

28歳のときでしたが、それ以上仕事を続けられなくなった子規は、療養生活をするため地元・松山に移ります。そこで子規が頼ったのが、親友の漱石でした。

一時期、松山で中学教員をしていた漱石は、子規といまでいうところのルームシェアをしていたのです。