レイプ被害者の写真を大きく掲載した英国主要紙

日本の事件・事故報道は、日本におけるマスコミ批判で好んで比較対象に挙げられるイギリスと比べても抑制が利いているのが現実だ。

BBCやガーディアンなどを引き合いに「日本のマスコミやジャーナリズムはイギリスよりも遅れている」といった論は絶えず出てくるが、イギリスの事件報道のように徹底して細部を描けという話はあまり聞いたことがない。

今やこの分野の古典とも言える澤康臣氏(元共同通信記者、現在は早稲田大学教授)による『英国式事件報道 なぜ実名にこだわるのか』(文藝春秋)という一冊がある。刊行は2010年である。状況に変化もあるだろうが、示唆に富んでいる。本書を紹介する澤のコラムから引いてみよう。

《英国式事件報道の世界は目くるめくものだった。ひとたび殺人事件が起きれば被害者の人柄や生活を描いた長い物語(ストーリー)が掲載される。容疑者が逮捕されると本人ばかりか家族や恋人のことまで記事に登場することもある。いかなる立場の人であれ実名表記は当たり前
(中略)
兄妹が遺産をめぐりドロドロに争った裁判を細大漏らさず伝え、亡くなった親の愛人の名前まで詳報したガーディアンの記事。ひどいレイプ被害をうけ、精神的なダメージを抱えて懸命に生きながらもついに鉄道自殺をしてしまった少女の物語を彼女の大きな写真とともに載せたインディペンデント。自殺と言えば、著名な法律事務所に勤める弁護士の過労自殺を、弁護士の父へのインタビューとともに詳しく報じたタイムズの記事もあった。後にタイムズ編集陣の一人に聞くと、法律事務所からタイムズ編集部に抗議があったというが、タイムズにしてみれば「それが何か?」だそうだ。抗議する人はいるだろう、でも事実でしょ、というのが彼らの姿勢である》

刊行当時に読んで、現役の事件記者だった私もかなり驚いたのだが、イギリスのメディアは日本の新聞で報じれば確実にプライバシーの侵害だ、と批判が起こりそうなことを堂々とやっている。だからイギリスの事件報道が進んでいるとか、もっと見習うべきだとは思えないが、詳細に報じる理由には興味深いものがある。

「芸能人への直撃取材」に報道哲学はあったのか

端的に言えば、イギリスメディアの現場が共有している「報道哲学」の根幹は人間を徹底的に描くということにある。事件や事故、災害などで起きてしまう「ある人の死」は社会にとって一大ニュースであり、徹底的な実名報道で関係者に当たりながら立体的に人間を描くという大義名分がある。

もちろん細かく書いた方がウケがいいという商業主義とは無縁ではないだろう。だが、少なくとも原則を貫く実名報道や徹底的に事実を暴く姿勢は社会にも受け入れられており、現場の記者は堂々と哲学を語り、会社は記者の取材や記事を守る。

日本の報道現場からみれば品がない表現、下世話な興味、あるいは倫理的に問題があるような取材手法でもそれは変わらない。

日本のメディアの場合、結局のところ「なぜ報じるのか」という問いをうまく伝えきれていないところに問題がある。それは社会に対してもそうだが、たとえば中山忍さんを囲んだ報道陣がどの程度、自身の報道哲学について答えられたか。批判を覚悟の上で真っ当に答えられるかはかなり疑問だ。

1人の男性を取り囲む取材陣
写真=iStock.com/Picsfive
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