道長を助けた「健康体と長寿の遺伝子」
医療などないに等しかったこの時代に、6人も子を産みながら90歳まで生きた倫子は、やはり健康体と長寿の遺伝子に恵まれていたのだろう。それは子供たちのその後をみてもわかる。
たしかに、姸子と威子、嬉子は伝染病や出産時の困難のために、長生きできなかった。しかし、彰子は87歳、頼通は83歳、教通も80歳まで生きた。ひとたび伝染病が流行れば人口が激減するような時代に、6人の子のうち3人が80代まで生きたのは、驚異としかいいようがない。
倫子の健康体と長寿の遺伝子は、道長の栄華において最大の基盤だったといえるだろう。もっとも、だからといって、倫子が道長の「思い人」だったかと問われても、肯定する材料はない。紫式部が道長の恋人ではなかったとしても、道長にはまひろのような存在がほかにいたかもしれない。
しかし、平安貴族の価値観に照らせば、倫子が道長にとってもっとも大切な女性であったことは、疑いようがない。