兄・伊周は37歳で没したが

実際、伊周は道長の出世をねたみ、一条天皇の願いで復権しても、すぐに呪詛事件を起こしては排斥され、寛弘7年(1010)正月に37歳で没した。一方、隆家は兄のようにネチネチと執着するのではなく、『大鏡』に「世の中のさがな者」(天下におけるタチが悪い荒くれ者)と書かれたような性質だったことが、結果的に幸いしたようだ。

『石山寺縁起絵巻』第3巻第1段より藤原伊周
『石山寺縁起絵巻』第3巻第1段より藤原伊周〔写真=PD-Art(PD-old-100)/Wikimedia Commons

結論を先に言えば、隆家は平安時代最大の対外危機から日本を救った。むろん、それは道長を救ったことになる。ドラマで安倍晴明はそのことを予言していたのである。

じつは、九州北部では9世紀後半以降、物騒な状況が続いていた。朝鮮半島で新羅(935年滅亡)の勢力が弱まるにつれ、海外から異賊が押し寄せるようになっていた。このため博多に警護所をもうけて対応していたが、道長が剃髪して出家した寛仁3年(1019)3月からの被害は、それまでの比ではなかった。