一家の主婦として家族を支えてきた妻の役割はいつまで?
生きるために必要な毎日の食事づくりや家事、外部との関係を維持する営みを、超高齢期のひとり暮らしの人が、自分ひとりのために続けることだけでも大変だが、夫婦2人暮らしの場合、自分の分だけでなく、夫の分までもがある。
私が話を聞いたひとりの女性支援者は、次のように語っていた。
「妻として母として生きてこられた女性の場合、家事を担い、ご主人や子ども、家族がうまくいくようにといろいろな気遣いをし、みんなのケアをする立ち位置でやってこられて。みんなから頼られているといえば頼られているのだけど、その頼られていることをいつまで続けるのか……というのは、問題ですよね。
その辺のところが、大変ですねえ。こんな人は一生、どんな立ち位置になっても、ずっとずっと自分は殺しておいて、人のためにばっかり、生きなきゃいけないのか。そう思うことがあります」
一世代前までは、妻より先に亡くなる男性が多かった
だが、この女性支援者が語るような、超高齢期の女性が夫や子どもなど、他の家族員のためのケア役割を担い続ける暮らしが、昔からあったわけではない。
なぜなら、いまの高齢者の親世代までは、平均寿命も短く、妻より先に亡くなる男性が多かったからだ。
それに、かつては子ども家族との同居が一般的で、高齢になると、子世代の女性(多くの場合、息子の妻=「嫁」)に食事づくりを委ねることが可能な人の方が多かった。
戦前の「家」制度のもとでは、息子が跡継ぎとして「家」を相続するのと同様に、嫁(息子の妻)に「しゃもじ渡し」「ヘラ渡し」という形で、それまで姑(息子の母親)が担ってきた家事の一切を、譲り渡す民俗慣行が広く見られたという。
また、家族のための食事づくりには、普段(「ケ(褻)」の日)の食事以外に、盆や正月、家族の年中行事など非日常(「ハレ(晴)」の日)の食事づくりがあるが、それも、同居する息子の妻が「嫁」扱いされる旧弊が残っていた1980年頃までは、「嫁」が担う家も多かった。
それが、親子が別々に暮らす慣行が一般化するなか、子どもたちが実家に里帰りして「母親の手料理」を食べる形に変わっていったのだ。