“ネットの界隈”が勉強に役立つ例もある

念のため、ネット上のコミュニティとしての界隈が悪いことずくめでは決してないことも付け加えておきます。界隈にいるネット上の友人のおかげでめげずに通学ができていた生徒が、進学した学校で友達ができ、学校生活を謳歌するようになったなんてケースは、ネット社会が恩恵をもたらした結果に他なりません。

SNS上で見られる「勉強垢」もまた、使いようによっては良き界隈を形成できます。勉強垢とは、勉強に特化した投稿をする副アカウントのことです。受験勉強のモチベーションを高めあったり有益な情報を交換したりする仲間たちと繋がることで、学力向上が期待されます。

教室で字を書いている女子高生
写真=iStock.com/D76MasahiroIKEDA
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とりわけ、周囲に難関大を目指す生徒がいない田舎の受験生からすれば、こうした界隈がもたらしうるメリットは計り知れません。聡明な受験生たちが猛勉強している姿を知ることで、「努力」の意味が変わってくるからです。

ほぼ難関大受験生がいない牧歌的な田舎の高校と、小学生の頃から競争に明け暮れていた中高一貫の超進学校とでは、「努力」や「頑張った」の意味がまるで違います。

片や休日八時間の勉強は「物凄い努力」である一方、後者であれば「最低限」または「全くはかどらなかった」といった具合です。この感覚のズレを修正することで勉強のあり様を変えることができれば、田舎の受験生にも活路が開けることでしょう。

“いびつなモノサシ”が作られてしまう

その一方、綺麗なノートを投稿したり、頑張っている自分をアピールしたりすることが目的になってしまうと、意味がないどころかデメリットしか生じません。そんな彼らが悪目立ちした結果、勉強垢そのものに対し冷たい視線を投げかける高校生も少なくないようです。

ここでもまた、SNSを適切に活用できる優秀な生徒たちが集うことで、彼らがより優秀になる一方、勉強垢界隈を承認欲求の場と取り違えてしまい、より学力が低下する生徒たちが出現するという格差拡大の図式が見て取れます。

これら特定の界隈で身に付けた規範は、そっくりそのまま自分に刃が向けられます。先述した『wakatte.TV』では、一般的に難関大とされる学校でさえ馬鹿にされてしまいます。

事実上、日本人の大部分が嘲笑されているようなものです。こんな動画にどっぷりとはまった先には、相当にいびつなモノサシが形成されるのは目に見えています。パン屋の店員に学歴を聞いたうえで「高卒が作った単純なパンでした」と発してしまう無礼な姿や、学生たちに対する「しょぼい大学だな」「ガチのFラン(ボーダーフリーの大学)やないか」といった暴言を面白がること即ち、下劣な規範の内面化に直結してしまうのは論を俟ちません。