アルゴリズムで「見たくないけど、見てしまう」

この動画チャンネルは、ちょっと驚くほど高校生からの認知度が高いのです。いや、高校生どころか、公立中学に通う生徒が知っているというケースさえよくあります。

聡明で真面目な生徒は、この動画チャンネルに対し不快感を示したうえで、高田ふーみん氏について「あの人、(やっていることが)二重人格ですよ!」と憤りをあらわにしていました。

他の動画チャンネルでは塾講師として真面目な応対を高校生にしつつ、その一方で大学生を小馬鹿にする態度が許し難かったのでしょう。そして何よりも「見たくないけど、気になって見てしまう」自分にいらだっていたようです。

「見たくないけど、気になって見てしまう」という言葉は、当事者の言だけあって問題の核心を突いていると思います。

受験を控えた中高生が、偏差値や大学・高校といったものに関心を持っていて、その関心を反映した振る舞いをネット上でしてしまうのは致し方がありません。その関心を敏感に察知したアルゴリズムの働きにより、ユーザーの関心を刺激する内容の投稿が視界に出現し、思わず足を踏み入れてしまうわけです。

スマートフォン上に表示されているYouTube動画
写真=iStock.com/5./15 WEST
※写真はイメージです

注目を集めるために“刺激的”になる

しかも、そんな界隈のコンテンツは往々にして過激であり、そこに存する規範もまた反社会性を帯びがちです。ここに、下劣な規範を有した界隈が発するコンテンツほど注目を集め人々を誘ってしまうという、全く歓迎できない関係性が見えてきます。

ネット上には星の数ほど情報が存在するため、誰かに見てもらうだけでも難儀なものです。だから、注目(アテンション)を集めクリックさせるだけでも大きな価値が発生します。

そんな状況は、昨今ではアテンションエコノミーとも呼ばれていて問題視されています。フェイクニュースやデマ、全く裏取りをしない情報の方が刺激的になりやすいのは明らかであり、それ故に誤った情報が拡散してしまうためです。

ただし、どうやらフェイクニュースやデマだけでなく、反社会性を帯びた規範までもが拡散しやすいようです。こうなると、煩わしい規範を壊した意味が問われるのはもちろんのこと、かつて有していた古臭い規範の方がマシだったのではないかという当然の疑問が浮かんできます。