事件の加害者になった人や家族は、その後どのような人生を送っているのか。2008年から加害者家族の支援を行っているNPO法人代表の阿部恭子さんが、小学6年の女児に性行為を強要した男性と母親のその後をリポートする――。
両手で頭を抱えた男性
写真=iStock.com/Kayoko Hayashi
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息子に人生を捧げた母親

犯罪の中でも、性犯罪者に対する世間の目は厳しい。怖れられるだけでなく、嘲笑の的になり、性犯罪者の家族もまた、屈辱的な思いをしている。筆者は、特定非営利活動法人World Open Heartにおいて、加害者家族の支援に従事しており、性犯罪者の家族からも多数、相談を受けている。

本稿では、子どもを性犯罪者にしたくないという思いから異常な行動を取るようになってしまった母親の事例を紹介する。なお、本文では個人が特定されないよう若干の修正を加え、登場人物はすべて仮名とする。

青木さえ(60代)は、大学教員の夫(60代)との間に息子(20代)がひとりおり、三人で生活している。夫とは大学時代からの付き合いだったが、夫が研究職に就いたのは30歳も半ばで、それまでは、さえの給料で家計を支えてきた。

息子の幸也が産まれてからは、夫との関係は完全に冷え切っており、さえにとっては「息子命」の人生だった。

「夫は大学教員ではありますが、大した大学は出ていないし、エリートとはかけ離れた経歴です。職場でも見下されているようで、家に帰って来ても愚痴ばかり。息子には、そんな惨めな人生を歩んでほしくなくて、とにかくいい大学に入ってほしいと思っていました」

幸也は幼い頃から遊んでばかりで、勉強嫌いの子どもだった。さえは、そんな息子のモチベーションをあげるために、金銭や彼の望むものを与え続け、なんとか高校受験では、そこそこのレベルの学校に進学することができた。

ところが、大学受験期には完全に燃え尽きており、最初の受験で合格した大学は一校もなかった。幸也は、働くよりは勉強の方がマシだと有名大学を受験し続けたが、3浪しても合格できないまま、いつの間にか受験すらしなくなり、ニート生活を送るようになっていた。

幸也が仕事もせず、自宅にいるまま年を重ねていく状況に、さえは焦ったが、夫は全く無関心だった。