私と家族が暮らすボストンでは、5月初めでも野球をするにはまだ寒い。ボールを打つと、バットを握る手がジーンとする。
それでもレッドソックスは、憎きヤンキースをフェンウェイ・パークに迎えていた。打席には、ボストンのヒーローである強打者デービッド・オルティスが立っている。
その日も、病院のベッドで父が試合を見ていた。彼は1940〜50年代にニューイングランド・インダストリアル・ベースボールリーグというセミプロのタフなリーグで、投手をしていた(といっても試合そのものより、試合中の数々の乱闘騒ぎの話をして、そのときの傷痕を見せるのを楽しんでいたが)。
テレビがオルティスの打席を映していたから、すぐには父と話せなかった。しばらくして父は「おいおい」といつもの口調で言った。「オルティス。役立たず。スラッガーは三振ばかり。ボールを前に転がせ」
父はその夜、90歳で亡くなった。走者をコツコツ進め、ボールを「前に転がす」という「スモールボール」こそ野球の理想像であり、打者の優劣を判断する基準にもなり得ると、彼は信じていた。
父がプレーしていた75年前から、そして亡くなった15年前からでさえ、野球は変わった。打者はボールを「前に転がす」より、フェンス越えを狙って思い切りバットを振り回す。三振をしても誰もとがめない。「ロングボール」のドラマは観客を興奮させ、金をもたらす。
データを統計学的に分析して野球のありようを変えた「セイバーメトリクス」の専門家らも、走者を進めるスモールボールより本塁打を打ったほうが得点につながると言う。父も私も、この見方は信じていない。
大谷翔平は、スモールボールとロングボールの両方の要素を兼ね備えた選手だと思う。彼は高い打率で走者を進め、同時に長打も放つ。衝撃的な身体能力と、殿堂入りも確実な技術がそれを可能にしている。
大谷が偉大な選手であることは確かだ。だが過去の名選手と比べてどうなのか。それは野球ファンなら誰もが好む、正解のない楽しい話題だ。
大谷を1920年代から現在までに殿堂入りした主な選手たちと比較してみよう。まず、ベーブ・ルース。選ぶ理由は、ルースがそうではないと証明されるまでは史上最高の選手だから。2人目はテッド・ウィリアムズ。40〜50年代に活躍した選手で、しばしば史上最高の打者と言われる。
次にウィリー・メイズ。50〜70年代の選手で、史上最高のオールラウンドプレーヤーの1人だ。そしてカール・ヤストレムスキー。60〜80年代に活躍し、私の幼い頃のヒーローだ。最後にリッキー・ヘンダーソン。史上最強の盗塁王である。