栗栽培は「儲からない農業」として知られている。そんな栗農業で成功したのが、2006年に石川・能登(輪島市)に移住した松尾和広氏がはじめた「松尾栗園」だ。だが、2024年1月1日の能登半島地震で被災した。松尾氏は能登に戻りたい思いを抱えながらも、静岡への移住を決断したという。なぜ静岡なのか。農家兼著述家の有坪民雄氏が話を聞いた――。
能登半島地震で潰れてしまった輪島市町野地区の自宅兼作業場
画像提供=松尾和広氏
能登半島地震で潰れてしまった輪島市町野地区の自宅兼作業場
コメ農家同様に「儲からない農業」

1haの収穫量が全国平均で100kgに届かないうえ、買取価格が1kgで1000円を超えることはほとんどない栗栽培。いわば、コメ農家同様に「儲からない農業」として認識されている栗農家で成功したのが、2006年に石川・能登(輪島市)に移住した松尾和広氏がはじめた「松尾栗園」だ。同氏は、独自の冷蔵熟成技術と焼き作業で、糖度30度を超える焼き栗ならびに栗ペーストを商品化することで高収益を実現させた。

しかし能登半島地震で被災。一時は栗農家としての再建は諦めかけたが、現在は再移住した静岡を拠点に「日本の栗産業を盛りあげる」べく、奮闘している。そんな松尾氏に、農家兼著述家の有坪民雄氏が取材した。

親類のいる東京に身を寄せたのち、静岡への移住を決意

「こうして家族全員がそろって生きていることだけでも感謝」

2024年1月1日に起きた能登半島地震。その言葉にも表れているように、当時、自宅兼仕事場のある輪島市にいた松尾氏は家族とともに被災した。

道路が寸断され、集落は孤立状態に。5日間の車中泊を余儀なくされたのち、2人の小学生とともに妻の実家のある東京に身を寄せた。

能登に戻りたい。けれど、いまは家族の生活や子どもの学校のことを優先すべきではないか。悩み抜いた末に松尾氏は静岡への移住を決断した。なぜ静岡なのか。松尾氏はこう話す。

「能登での再建も検討しましたが、元の状態まで戻すのに推計1億円以上かかるということでした。どうしたらいいのかと頭を抱えていたときに、静岡の春華堂というお菓子メーカーの方から声をかけてもらったんです」

それは、「うなぎパイ」で知られる静岡の春華堂が牽引する「遠州・和栗プロジェクト」に参画してくれないかという話だった。同プロジェクトは、後継者不足によって全盛期の5分の1まで減少した、静岡県西部の遠州地域(8市1町)の栗栽培を復活させ、和栗の持続可能な生産をつくりあげることを目的としたものだ。

実は、春華堂の担当者が震災の半年前に能登を訪れ、栗農家としての松尾氏に、様々なアドバイスを求めていた。2024年2月には、栗にまつわるシンポジウムで、基調講演をすることも決まっていた。

そうした縁もあって、「松尾さんは栗をやめちゃだめだ。日本全国を探しても、栗専門の農家として生計が成り立っている人はほとんどいない。そのスキルと技術は、ぜったいに活かさないともったいない。こんなプロジェクトがあるから、ぜひ静岡に来てください」と言われ、松尾氏は静岡の浜松市へ移住することを決意した。