転職で一気に月収100万円に

【岸】でも、JTでそのまま頑張れば、その後、給与はすごく上がったはずですよね。

【森永】確かにそうかもしれません。ただ結果的に、シンクタンクのほうが給与は良かったですね。なにしろバブルでしたから。当時の私はプロジェクトを20本以上、同時進行で回していて猛烈に忙しかったですが、残業代は青天井。入社して翌々月には給料が100万円になりました。

【岸】手取り5万~6万円だったのが一気に100万円ですか。

【森永】それまでがあまりにも悲惨だったので、少し自慢したくてカミさんに給与明細を見せたんです。「どうだ、こんなに増えたよ」と。そうしたら、金額が100万円にわずかに満たない99万数千円だったのを見て、「もう少しで大台だったのにね」と、褒めてはもらえませんでした。

【岸】森永さんは結果的に給料も増えて、周囲にとっても良かったと思いますけれども、僕は経産省を辞めるとき、周囲にはけっこう反対されましたね。母からも「辞めるのはもったいない」と心配されました。

【森永】普通に考えればそうなるでしょう。

【岸】それまで好きにやらせていただいて、「このままもっと楽しい仕事をしたいから」なんていう理由で官僚を辞めてしまったわけですから、ある意味、僕も小泉政権の被害者のようなものですよ(笑)。

組織を離れて直感を研ぎ澄ませる

【森永】組織を離れて自由業になると、マーケットの荒波に飲み込まれるわけで、いいときはいいけれど、仕事がなくなると大変ですよね。

森永卓郎、岸博幸『遺言 絶望の日本を生き抜くために』(宝島社)
森永卓郎、岸博幸『遺言 絶望の日本を生き抜くために』(宝島社)

【岸】僕は官僚時代、政策の仕事に携わって、その後大学で教える立場になりました。そんなとき、ふとしたきっかけでテレビ番組からオファーがあり、そのうちバラエティ番組にも呼ばれるようになりました。堅い仕事をしていた関係で、多くの人から「そういうのは色がつくよ」「やめといたほうがいいよ」と言われましたが、僕はいま、自分の判断でテレビ番組に出て良かったなと思っています。

【森永】やりたいことは、やるべきですよね。

【岸】森永さんもそうだと思うのですが、学者だけをしているよりは思考も柔軟になったと思いますし、政策を提案するにしても、いろいろな人と意見交換をすることによって勉強になります。組織を離れた以上、自分が何をなすべきか、いつも直感を研ぎ澄ませていないといけないなと、いまでも感じますね。

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