手取り13万円から更に悲劇が…

【森永】極貧もありましたが、JTを辞めたのには仕事上の理由もありました。私は経企庁に出向していましたが、1980年代末期に内閣外政審議室が新設されることになり、所属部署の課長補佐をそちらに取られてしまったんです。そのとき私は出向の外人部隊で、しかも平社員だったにもかかわらず、いちばん年長だったために、本来キャリアの課長補佐がやる仕事がどんどん回ってきたんですね。

【岸】面白く、やりがいのある仕事を任されるようになったわけですね。

【森永】そうなんです。仕事が面白くなって、このまま役所に残りたいと思った。ただ、国家公務員上級職の試験(現在の国家公務員総合職試験)を受験するには年齢がギリギリオーバーしており、当時の上司が「中級職だったら随意契約で採用することができるよ」という提案をしてくれたんです(編注:当時の国家公務員試験の分類は「I種・II種」でしたが、このときの会話では「上級・中級」という昔の呼び方を続けていました)

【岸】そうだったんですか。その提案には応じたのですか。

【森永】いえ、結果的に役所には入りませんでした。役所の中途採用の場合、「それまでのキャリアの年数は2分の1でカウントする」という妙なルールがありまして、採用されても新入社員に毛が生えたような立場からのスタートになるわけです。

【岸】それじゃ貧困問題も……。

「手取り5万円」に妻は「いいよ」と言ったが…

【森永】解決しません。カミさんには「手取り5万になっちゃうけどいい?」って聞いたら「いいよ」と言ってはくれたんですけど、その上司に「採用、お願いします」と言ったら、今度は説教されたんですよ。「お前、そんなんで暮らしていけるわけないだろう」と。

封筒に入れた日本の5万円分紙幣
写真=iStock.com/yuruphoto
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【岸】いい上司だ(笑)。

【森永】そこで「俺が紹介してやるからシンクタンクに行け。高い給料も出るし、仕事も似てるから」と言われまして。三井情報開発株式会社の総合研究所にとりあえず出向し、1988年にJTを退職して正式に移籍しました。