江頭さんの目をくぎ付けにしたのは、岡村憲一さん。鷹匠として20年以上のキャリアを持ち、江戸時代から伝わる諏訪流放鷹術の継承を目的とするNPO「日本放鷹協会」の理事長を務めたこともある第一人者だ。その場で、「この人のもとで働きたい!」と感じた江頭さんは、後日、専門員に連絡を取り、「あの会社に入社したいです」と訴えた。

師匠の岡村さん
写真=江頭さん提供
師匠の岡村さんと、パートナーの志(あき)ちゃん

岡村さんが取締役を務め、鷹匠として働いている会社は、グリーンフィールド。もともと経営コンサルタントをしていた伊駒啓介さんが岡村さんと出会い、鷹匠のポテンシャルを活かすため、2011年に立ち上げた。

ハトやカラス、ムクドリの被害に悩む自治体や企業、団体は少なくない。たくさんの対策グッズがあり、それらを活用した駆除業者も多いが、鳥はすぐに学習し、慣れてしまうという課題がある。その点、鷹はハトやカラス、ムクドリにとって天敵のため、鷹が定期的に姿を現すところでは命の危険を感じて逃げ去る。生き物としてのその習性を利用したのが、鷹匠による「追い払い」だ。

鳥の騒音や糞害に頭を抱える人たちの救世主として注目が集まっている
筆者撮影
鳥の騒音や糞害に頭を抱える人たちの”救世主”として注目が集まっている

18歳を採用するつもりはなかった

例えば、ムクドリが群生している現場では、1日おきに鷹匠が現場に入る。すると6回目前後からムクドリが減り始め、10回を超える頃にはほとんど姿が見えなくなるという。次の年、同じ場所に戻ってきたとしても、ムクドリはそこに鷹がいたことをおぼえていて、2、3回の出動で激減することが多いそうだ。

江頭さんが入社の意志を伝えた当時、同様の事業を手掛ける企業はほかになく、伊駒さんによると「まだ知られていなくて、事業規模的にはまだまだ」だった。そのため、当初は高校を出たばかりの18歳を採用するつもりはなかった。

「鷹を実際に飛ばすまでにどれだけかかるのかは、個人差が非常に大きいんです。その頃は教育システムもなかったので、高校で少し鷹を触ったことがある程度の子を預かるのは難しいと思っていました。それに、この仕事は大変なところもありますから……」

大変なところってなんですか? という問いへの答えを聞いて、確かに、と納得した。

「鷹匠は、現場が終わったら仕事も終わりじゃありません。常に鷹の面倒を見る、鷹中心の生活の生活になるんです」

鷹の寿命は20年から30年。鷹匠はその間ずっと、鷹と生活を共にすることになる。それは、鳥かごで小鳥を飼うのとはまったく違うレベルの世話が必要だ。詳細は後に記すが、高校を出たばかりの18歳にその生活を強いることを躊躇するのは当然だろう。しかも、まだ事業自体が不安定な時期に、一人前の鷹匠になれるかどうかわからない若者を雇って給料を払うのは、大きな負担になる。伊駒さんはしばらく悩んだそうだ。

新入社員ならぬ新入鷹匠へ

高校生が就職する際には、企業と学校が連絡を取り合い、採用、不採用の通知は学校側から生徒に伝えられる。江頭さんが専門員を通じて入社希望を伝えた7月以来、待てど暮らせど連絡がない。卒業が迫るなか、担任から「もう諦めろ」と言われた。それでも、「諦めません」と言い続けた。ほかの仕事を探したほうがいいかもしれないという考えは、「一切なかった」と言い切る。