論理的で本質的な話を目指そう

話し方や考え方の原則を理解するには、「論理性←→非論理性」と「本質的←→非本質的」の四分割で考えるとわかりやすいと思います。

もっとも望ましいのは、論理的かつ本質的であるということ。話が本質を突いているうえに、論理的にも正しいという意見です。図表1で言えば右上のゾーンということになります。

正反対なのが左下のゾーンで、論理的にもおかしいし、そもそも関係の無い話をしているというパターンです。話すときも書くときも、基本は「論理的で本質的」な話し方を心がけるということになります。

この話し方が飛びぬけてうまかった1人が政治家の田中角栄です。人間臭さと豪快さに溢れた歯に衣着せぬトークが真骨頂でしたが、その内容は実に論理的に構成されていました。芯を食うように本質を突き、根拠となるエビデンスも数字として織り交ぜるため、予備知識が無い一般大衆にも説得力を持って響きます。そこにテンポよくユーモアも織り交ぜるため、聴衆は「もっと聞きたい」という気持ちになるのです。

論理的で本質的な文章や会話は、人の心を気持ちよくするのです。

ただし、論理性だけが全てではない

一方、論理性は無いけれど、本質を突いているという感覚も世の中には必要です。いわゆる芸術家タイプ、天才タイプの中には「あの人は、理屈はめちゃめちゃなんだけど、芯を食ったような鋭いことをよく言うんだよな」という人が多いのです。

また、受験生が試験で数学的な問題を解く際にも、理論より先に直感が先に閃き、それに基づいて計算したら合っていた、従ってこの公式で……というように、言わば後づけで立証するようなことも少なからずあるのです。頭の中で起こっていることと論理性とは、必ずしも一致しないということ。比重が論理に傾きすぎると閃きが消えてしまうという考え方もできるのです。現実社会は理屈や論理だけで動いているわけではありませんので、キラリと輝く感覚も掬い取っていくことが必要です。それにより楽しいコンテンツが生まれ、文化が育ち、多様性のある豊かな社会になっていくことにもなるからです。