三淵嘉子は法律の仕事に情熱を注ぎ、実りある人生を送った
嘉子さんは、職員たちにもいろいろな気配りができ、周囲の人からとても慕われる裁判所長でした。また、家庭裁判所に送られてきた少年・少女たちへも愛情を注ぎ、気配りをしていました。日頃から注目され、一挙手一投足が見られる存在だったからということもありますが、嘉子さんが単に自意識が強いだけでなく、自己規律もできる女性だったということを示しています。
男性にとっても女性にとっても、仕事と家族と自分自身のために時間やエネルギーをどう使っていくかという問題は、その人の環境や人生観、人間関係に左右されます。
嘉子さんも幼い息子を弟夫婦に預けてアメリカへ行ったり、再婚した夫と別々で暮らしたりと、家族との時間は少なかったかもしれません。
人間に与えられている時間は限られており、すべてのことを100%できるということはありません。また、完全な存在でもありません。
しかし、実力を発揮できる仕事があり、それに熱意を注ぎ続けられたことは、嘉子さんにとって、実りある人生であったことでしょう。そしてそれが、社会的にも大きな貢献となったのです。
嘉子さんは死の前年に出した共著『女性法律家』(有斐閣)にこう書き残しています。
「昭和五四年に停年で裁判官を退職し、再び弁護士の登録をした今、顧みて裁判官であったことは私にとって最高の女の人生であったと思う。
(中略)
私は生涯をかけて男性と対等に生き抜く仕事を志す女性に向っていつも信念をもって法曹の道に進まれることを勧めている」
(中略)
私は生涯をかけて男性と対等に生き抜く仕事を志す女性に向っていつも信念をもって法曹の道に進まれることを勧めている」
NHKの連続テレビ小説「虎に翼」は終わりましたが、そのヒロインのモデルである嘉子さんの想いや苦悩や生き様は、ドラマを見た方たちの心に残り続けることでしょう。