目標の掲げ方は人さまざまです。自分には絶対に無理だろうと思えるほどの高い目標を掲げて、そこに向かって頑張ろうとする人もいれば、今の自分でもほんのちょっと頑張れば達成できそうな目標を掲げる人もいます。
後者は何よりも「達成する」ことを重視するのに対し、前者は「たとえ達成できなくても、限界を超えることができる」ことを期待するやり方と言うことができます。
大谷翔平は花巻東高校恒例の「目標設定シート」に「スピード160キロ」と書き込んでいます。今でこそ160キロを投げる投手はいますし、高校生でも150キロを超えるボールを投げる投手が増えていますが、大谷が高校1年生だった15年くらい前には160キロというのは「夢の数字」であり、「実現不可能」と思えるほど高い目標でした。
しかし、監督の佐々木洋は高校入学時から130キロ台中盤のボールを投げる大谷を見て、鍛え方によっては夢の160キロが出せるのではないかと考えます。
その期待に応えるかのように大谷は「目標設定シート」に「160キロ」と書き込むわけですが、驚くべきは別の用紙には「163キロ」という数字を書き込んでいたことです。なぜ2つの数字を書いたのでしょうか? 大谷はその理由をこう話しています。
「160キロを目指していたら、158キロぐらいで終わっちゃう可能性があるので、目標数値は高めにしました」
160キロを出すためには、さらに高い163キロを目標にして、練習を積んでこそ可能になる、というのが15歳の大谷の思考法でした。
これには佐々木も驚きます。「1位を目指して2、3位になることはあっても、3位を目指して1、2位になることはない」はバレーボール女子全日本チーム監督としてロンドンオリンピックで28年振りのメダルをもたらした眞鍋政義の言葉ですが、佐々木自身も、これまでの経験から「10」を目指していたとしたら、「8」になることがあるように、目指したものよりちょっと下の地点になってしまうことがあることを知っていました。
後日、大谷を呼んで「160キロは出る。そのために目標を163キロと書きなさい」と伝えますが、実はその時には既に大谷は別のシートにその数字を書き、ウェイトルームに貼っていたのです。どこまでのレベルを成就できるかは、最初に置く目線で決まりますが、大谷は高校生の時から早くも「はるか高み」を目指していたのです。
ワンポイント:目標は高く掲げよ。達成できなくとも、今よりも大きく成長できる。
(出典書籍)
▼『道ひらく、海わたる 大谷翔平の素顔』(佐々木亨著、扶桑社文庫)
▼『大谷翔平 野球翔年I 日本編2013―2018』(石田雄太、文春文庫)