1988年7月、クール宅急便を始めた。開発チームができて1年、40歳になっていた。翌年、人事部の労務課長へ異動し、今度はドライバーたちの長時間労働の解消にあたる。その間、クール宅急便の伸びがゆっくりで、社内から「あれが足を引っ張るから、うちは儲からない」と悪口が続く。ある日、財務担当の役員に呼ばれた。アナリストへの説明会へいくが、必ずクール宅急便について「いつ、黒字になるのか」との質問が出るので、どう答えればいいか、と聞かれた。当時、年間1000万個のペースまでになっていたので、「今年、きっと2000万個に達し、損益分岐点を超えます」と言い切る。その通りになった。
「聖人不凝滞於物、而能與世推移」(聖人は物に凝滞せず、能く世と推移す)――知徳にすぐれた人は、物事を固定観念で滞らせることなく、世の中の変化に応じて自らも変わっていく、との意味だ。中国の南宋と明の時代に編纂された『文章軌範』の正続二編にある言葉で、時代の変化を読み取り、それに即して歩むことの大切さを説く。時代遅れになっていく「業界の常識」や成功体験にとらわれず、世の中に生まれる新たなニーズへ進路をとる瀬戸流は、この教えと重なる。
最年少でも臆せず「宅急便」への挑戦
1947年11月、神奈川県小田原市で生まれる。父は国鉄の関東鉄道管理局(現・JR東日本)勤務で兄が一人。自然が豊かな地でのびのびと育ち、県立小田原高校から中央大学法学部へ進む。だが、学費値上げ紛争が起きて、学生がキャンパスを封鎖。授業のない日が続き、4年間、百貨店の配送や家電製品の配達のアルバイトに精を出す。
70年4月、大和運輸(現・ヤマト運輸)に入社。路線部の計算係に配属されて、代理店の売り上げや支払いを、ひたすら計算した。電卓もなく、すべてソロバン。ソロバンは小学校時代に習い、二級だった。次に営業路線の免許とりを担当し、営業所づくりにも携わる。さらに部内の人事を担う労務係へ移り、労使交渉にも列席する。