リニア着工に伴い、南アルプスの自然環境をどう保全するかの議論が静岡県で続いている。ジャーナリストの小林一哉さんは「県は『自然を守れ』とJRにしきりに主張するが、肝心の自然や生物多様性が何かをきちんと定義していない。このままでは議論は袋小路に入り込み、ますますリニア開通が遅れてしまう」という――。

「シカの食害」が初めて議題に

南アルプスの自然環境保全をテーマにした静岡県生物多様性専門部会が8月5日、静岡県庁で開かれた。

8月5日の県生物多様性専門部会
筆者撮影
8月5日の県生物多様性専門部会

静岡県は、リニアトンネル工事により損なわれる南アルプスの自然環境と同等以上の「代償措置」を提案するようJR東海に求めた。

具体的には、現在静岡県が取り組んでいる、ニホンジカの食害から高山植物を守る「防鹿ぼうろく柵」設置が、JR東海の取り組む「代償措置」の1つになるようだ。

会議後の囲み取材で、部会長代理を務めた岸本年郎委員は「(防鹿柵の設置は)代償措置の1つとしてありうる」などと述べた。

「防鹿柵の設置」は、会議の説明資料で、県の課題・取り組みとして真っ先に示されている。

説明資料には、静岡県の総合計画として「南アルプスが有する貴重な高山植物をニホンジカの食害から守る防鹿柵の設置やICTを活用した実態把握などに取り組む」と記されていた。

その説明資料によって、「ニホンジカの食害」が初めて示され、JR東海に求める「代償措置」に防鹿柵の設置が突然、浮上したのである。

「防鹿柵」は静岡県だけの問題ではない

これまで専門部会で、増え続ける「ニホンジカの食害」について何らの議論が行われたことはない。そもそも、専門部会委員に、現在、ほ乳類の専門家はいない。

ニホンジカの問題は、静岡県に隣接して南アルプスを有する山梨、長野両県の自然環境にも影響を及ぼしている。

防鹿柵で高山植物を守るのは限られた地域であり、防鹿柵で遮られれば、ニホンジカは餌を求めて別のところに移動する。

つまり、静岡県に防鹿柵を設置すれば、山梨、長野の両県へニホンジカの集団が移動して、隣県の高山植物に被害が出るかもしれない。

JR東海が防鹿柵の設置を提案した場合、しっかりと南アルプス全体の影響を踏まえた議論をしなければならない。

南アルプスのニホンジカが増えていることはわかっていても、どこにどのくらい生息するのかなどの調査は行われていない。

それだけに、静岡県が「代償措置」として防鹿柵の設置に前のめりになっていることに、強い違和感を覚えた。