菅原道真の失脚は「古代史の謎」

菅原道真の失脚は、古代史の謎の一つにもなっています。

菅原道真は貴族の中では決して名門ではなかったので、藤原氏など他の名門貴族に嫉妬されて失脚したというのが、もっとも一般的な見方です。

もちろん、それも要因の一つでしょう。

ただ、当時、菅原道真は「首相クラス」です。

しかも、宇多上皇という超強力な後ろ盾も持っていました。簡単に首を切ったり、左遷したりできるものではありません。ちょっと嫉妬されたくらいで、失脚してしまうことはないはずです。

謎
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菅原道真の失脚は「古代史の謎」(※写真はイメージです)

「脱税スキーム」に手を入れた

では、なぜこのようなことが起きたのかというと、「農民・役人・貴族の脱税スキーム」に手を入れてしまったからです。

菅原道真は、「寛平かんぴょうの改革」と呼ばれている国制改革を指揮していました。寛平の改革では、「農民・役人・貴族の脱税スキーム」を止めるために、京都の有力貴族と悪徳国司、富裕農民との関係を絶ち切り、清廉な国司による適正な徴税を復活させようとしたのです。

この改革を切望していたのは、宇多上皇でした。宇多上皇は当時すでに天皇を退位して上皇となっていましたが、まだ国政に影響力を持っており、改革の実行責任者として菅原道真を指名したのです。

この悪弊を行っていたのは、名門の貴族たちです。

菅原道真は、貴族としては名門ではないので、改革実行者としてはうってつけでもありました。だからこそ、宇多上皇から改革担当者として指名されたのです。

もちろん、この改革に対して名門貴族たちは反発します。

彼らは菅原道真が右大臣に就任した途端に結託し、宇多上皇の隙を見て、道真を追い落としてしまったのです。