平安時代の最高権力者、藤原道長が恐れていたものとは何か。歴史評論家の香原斗志さんは「一条天皇の皇后、定子だろう。権力を掌握する上で最大の障壁だった彼女が亡くなった後も、彼女の亡霊に長い間苦しめられた」という――。
2023年11月16日、「ディオール ホリデー ポップアップ」のプレビューを訪れた高畑充希さん(東京都港区のOMOTESANDO CROSSING PARK)
写真=時事通信フォト
2023年11月16日、「ディオール ホリデー ポップアップ」のプレビューを訪れた高畑充希さん(東京都港区のOMOTESANDO CROSSING PARK)

「一帝二后」を強行した道長の狙い

NHK大河ドラマ「光る君へ」の第28回(7月21日放送)のタイトルは「一帝二后」だった。

一条天皇(塩野瑛久)の正妻は、ずっと定子(高畑充希)ひとりだけだった。道長の長兄である道隆(井浦新)が、3つある后の枠に空席がないにもかかわらず、皇后の別称であった「中宮」という地位をあらたに設け、長女の定子を押し込んでいた。

以来、道隆が死去しても、兄の伊周(三浦翔平)と弟の隆家(竜星涼)が不祥事を起こしたのを受け、ほかならぬ定子が出家しても、彼女は中宮のままだった。当時、出家をしてしまえば離縁したのと同様にみなされ、公卿たちが定子を見る目には厳しいものはあった。だが、それでも正妻。一条天皇は、そんな彼女を寵愛し続けた。

そこに道長は、まだ数え12歳の長女の彰子(見上愛)を入内させた。さらには陰陽師の安倍晴明(ユースケ・サンタマリア)の勧めにしたがい、定子を皇后にし、彰子を中宮にした。すなわち、ひとりの天皇の下に正妻を2人置くという「一帝二后」を実現させてしまった。

道長の動機は、ドラマではあくまでも「国家安寧のため」で、私心はないとされている。だが、現実には、道長の権力を安定させるためだったと考えられる(もっとも、そのことが国家安寧にもつながるのだが)。

それはともかくとして、「一帝二后」の状態は長くは続かなかった。彰子が中宮になったのは長保2年(1000)2月25日だが、その年の12月16日、定子は亡くなってしまったからである。