社長会見までの「つなぎ」に使っていないか

1について、確かにできる限り早く謝罪したほうがいいというのは正しい。だが、テロップの変換ミスや数字の表記ミスなどの「訂正」と、テレビ局の不祥事の「謝罪」を同列で行うべきではない。

24時間テレビの寄付金着服の例は、番組内で起きた出来事でもなければ、自局内で起こったことでもない。誰がどう謝るのか(あるいは謝らないのか)というのは難しい判断が求められるが、「アナウンサーが謝ったから終わり」とはなっていないのが現状だ。

2については、確かに視聴者にとってはテレビ局の社長よりもアナウンサーのほうがよく知っており、親近感もある。だが、前述したとおりアナウンサーは所詮「テレビ局の一社員」であり、不祥事が起きた時に企業を代表して矢面に立つべき役職ではない。

テレビ局側からすると、「より親しみのあるアナウンサーが謝ったほうが叩かれにくい」いう計算もあるかもしれないし、実際にそうであることも多い。

筆者は、広報の仕事に就いた際に、「広報とはその名の通り、“広く報いる”ことだ」と教えられた。アナウンサーの謝罪にとどまっては効果も限定的なものになり、「(世の中に対して)広く報いる」という広報に求められる役割が十分に果たせない結果となる。

また、キー局を中心とした大手テレビ局には定例社長会見が設定されている。この会見は番組改編の発表や業績の報告などを行うためのものだが、不祥事があればこの場で社長が説明を行ったり、場合によっては謝罪をしたりする。アナウンサーの謝罪は、定例社長会見でまでの「つなぎ」として利用されている面もあるかもしれない。

「守りの広報」が脆弱すぎる

「紺屋の白袴」「医者の不養生」ということわざがある。テレビ局の広報はまさにこれで、世の中の事件や、他人の不祥事のことを報道することに時間を取られて、自社の問題について適正に発信する余裕がないように思える。また、本来は広報部門が対応すべきことをアナウンサーが対応するのが「通常運転」になることで、広報機能が脆弱になってしまっている。

テレビ局の広報部門の主な役割は、自局の番組・コンテンツを宣伝することであり、自社の問題、不祥事等に関する「リスク広報」の機能は概して弱い。つまり、攻めには強いが、守りには弱いのである。しかし、いまテレビ局に求められているのは「守りの広報」ではないかと思う。