日本の中高年に起きている残念な現象
拙著『シニア右翼』(中央公論新社)でも詳述したのだが、いま、「ひとつの物事に対して長く集中して向き合うことができない」という人が、ミドル層やシニア層に増えている。2時間の映画すら見ることができず、15分に短縮したファスト映画に飛びつく者は、若者ばかりではない。
SNSやネット動画は「若者特有のツール」というステレオタイプな見方が多いが、とりわけアプリケーションの導入が必要なく、クリックのみで視聴できるユーチューブへの接触は、高齢層の中で絶対的に優位になっている、というのが各種の調査で裏付けられている。もはや動画の世界は、ユーザーの高齢化が進んで久しいのだ。
いい歳をしたミドル層以上が、石丸を支持するという傾向は、ひいてはそれまでの人生で具体的な民主主義教育を受けてこなかったか、受けてきたとしても忘れたか、最初から具体的な政治課題について無関心だったのかのいずれかである。個人的な感触しては最後の部分だと思う。
私はこれまで、さまざまな国の人と政治的な対話を行ってきた。韓国、台湾、中国、フィリピン、マレーシア、タイ、インド、ベトナム、インドネシア……。アジア圏に限っても、その国や社会が抱える政治的な課題やニュースについて、「良く分からない」「興味がない」というふうに回答する人間は一人もいなかった。知識の濃淡はあるが、みな、それなりに自分の考え方を話し、討議する。それが当たり前だ。
そしてそれはどんな社会階層――例えば大学院卒のインテリから、ティーンから、工場労働者や商店従業員まで――であっても、「知らない」「難しくて良く分からない」と答える者は居ない。
口癖は「もっと分かりやすく話してほしい」
日本人の、とりわけいい歳をした成人だけが、圧倒的に「良く分からない」「興味がない」「難しくからよく知らない」と回答して、それを恥だと感じていない。こんなに政治的な知識が乏しく、無教養の市民は、私は少なくともアジアにおいて日本だけだと思う。
そしてそうやって、政治的な事象について「良く分からない」「難しい」「興味がない」「知らない」と回答するいい歳をした日本人の成人は、絶対に二の句でこのように言う。
「もっと分かりやすく話してほしい」
ユークリッド幾何学の話をしているのではない。少子高齢化や社会福祉や財政や政治家の疑獄の話をしているのである。これ以上何を分かりやすく話せばいいというのか。「福祉」「財政」という単語の意味から解説しなければならないのだとすれば、それはもう政治の問題などではなく教育分野か、はたまたそれこそ純然たる個人の問題である。
要するにこの手の話題ですら「難しい」「良く分からない」と感じる一部の有権者は、具体的な政策が何もなく、かつ具体的な単語がほぼ出現しない、「石丸レベル」でようやく理解できる。何のことはない、既存政治や政党への批判とかそういうレベルではなく、「石丸水準の話ならば、分かる(分かったような気になる)」というだけの構造である。