意識不明の末娘と、経営者としての責任と

ところが、いざ売り出してみると売れ行きはさっぱりでした。日本円で35万円という価格設定が高すぎたのかもしれませんし、電動バイクというカテゴリー自体が早すぎたのかもしれません。いずれにせよ、事前の市場調査に油断して、最後の最後、経営者としての私の「本当に売れるのか」という掘り下げが足りなかったのです。

フィリピン、そしてベトナムでの相次ぐ失敗で、テラモーターズの成長戦略の両輪が同時に失われてしまいました。このままでは前進することはおろか、経営を維持していくことすら危うい状況にありました。そんな私に追い打ちをかける出来事が襲い掛かります。

2014年、ベトナムにオープンしたテラモーターズ。期待値は高かったが、挫折を味わうことになる。
2014年、ベトナムにオープンしたテラモーターズ。期待値は高かったが、挫折を味わうことになる。

14年の私はフィリピンとベトナムに出ずっぱりで、ほとんど日本にいませんでした。国内事業は10年に販売を開始した電動バイク「SEED」シリーズのアフターサービスやメンテナンス業務が主で、外資系コンサルティング会社出身の優秀な執行役員に任せきりでいました。しかし、海外事業での失敗で「もうこの会社に未来はない」と見切られてしまったのでしょう。12月に辞職されてしまいました。

そもそもスタートアップにジョインしようという人材は、給与や安定性よりもダイナミックな成長に魅力を感じて集まってくるのです。こうなった以上は引き留めることはできません。彼が去ると、7人もの部下が相次いで会社を去っていきました。

さらに不運は続きます。年の瀬も迫った12月25日、末娘が急な発熱から重度の熱性痙攣を起こして、緊急搬送されたのです。病院に駆けつけると娘は意識を失ったまま、酸素マスクをつけ、幾本ものセンサーコードに繋がれていました。

「娘さんの予後ですが、正直何とも言えません。この年頃のお子さんには熱性痙攣はよくありますが、娘さんは重篤です。症例では3分の1は回復しますが、3分の1は植物状態になり、3分の1は命を失ってしまいます」

動揺する私に担当医師は冷徹にこう言ったのです。回復するかわからない娘の側にいたい。親として当然の感情を強く抱きました。

しかし、私は企業のトップ。自分が起業した会社が、すぐにも次の一手を打たなければならない危機に瀕していました。私は心の中で娘と妻に謝りながら会社に戻ると、年の瀬のオフィスで社員を集め、こう言ったのです。

「世のスタートアップが目指す最初の山の頂は、売り上げ10億円だ。我々は来年これを達成する。だから、ついてきてほしい。年明けからすぐに動く!」

14年の売上高は2億円。成長の柱と見込んだ両輪を失って、どうやって10億円を達成するのか、具体的な策は何もありませんでした。社員への宣言は、完全にノーロジックです。

それでも、私にはほかに選択肢がなかった。やるしかない……やるしかない……やるしかない!

年が明け15年1月3日、私はインドに飛びました。製品も販売チャネルもありませんでしたが、どこかへ行って何かを探すしかなかったのです。絶対に何かがあるはずだと信じて――。