「ハンバーガーが好き」だから、大手企業「東京ガス」を辞めた

生まれは、東京西部の日野市。小2から野球を始め、神奈川の桐光学園高校の2年夏に甲子園出場を果たした。全国から有力選手が集まる法政大学では2年春からレギュラー、4年時は主将を務めた。4年秋のシーズンには東京六大学リーグで優勝を果たし、明治神宮大会でも決勝に進出した。

社会人野球は名門の東京ガスでプレー。2017年の新チームから18年まで主将を任される。21年、社会人野球の最高峰、都市対抗で優勝も経験したが、自身の大会中の出番は代打の1回のみという屈辱も味わった。

そこから地道な練習を重ね、22年の都市対抗の大会期間中はチャンスで粘ってヒット打って“代打の神様”と呼ばれる活躍をした。

残念ながらチームは決勝で敗れたが、本人には出し切ったという気持ちがあった。そして翌23年8月の都市対抗を終えて選手生活にピリオドを打った。ここで会社に残れば上場会社で将来は安泰だったはずだが……。

興味深いのは「ハンバーガーが好き」という気持ちが単にお腹を満たすことだけにとどまらなかったことだ。自分が作って客に提供する側になりたいという願望が湧き上がった。

チーム関係者とよく食事をするバーが目黒川沿いにあった。

ある時、建部の異常なほどのハンバーガー愛を知ったオーナーが「自分で作って、お客さんに食べてもらったら」と言った。その言葉から、話がとんとん拍子に進んでいく。選手引退後、社業に従事したが、10年来抱いていた「ハンバーガー屋をやりたい」という気持ちはさらに加速していった。

「人生を考えたときに会社員でずっと、というのは想像できませんでした。ここで決断しないと辞められなくなると思いました。サラリーマンが嫌だから、というよりもハンバーガー屋をやりたいという明確な理由があった。一度きりの人生なんで、やりたいことをやってみたいと思ったんです」

昨年12月、会社に別れを告げた。

「Kento’s Burger」の店舗外観
撮影=清水岳志
「Kento’s Burger」の店舗外観