そんなかせがあるため、視聴率を獲るためにさまざまな仕掛けが用意される。今回の件で問題視されているセンセーショナルなナレーション、捜査シーンの並びかえは、視聴者を惹きつけ、視聴率を稼ぐために他ならない。

テレ東は記者会見で、この番組を「枠組みとしては情報バラエティ」と説明したというが、この発言はまずかった。ドキュメンタリーであれば許されないことも、情報バラエティであれば許されると言い訳しているように聞こえてしまう。

ドキュメンタリーであろうが、バラエティであろうが、作り手や局側が越えてはならないガイドラインがあるはずだ。

テレ東は「確認漏れ」と謝罪したが…

そして私が今回の事件の根本的な問題として指摘したいのが、「コミュニケーションの断絶」である。私がこれまでもドラマ「セクシー田中さん」問題などでも述べてきた、制作現場におけるコミュニケーションの断絶が深刻化している。

テレ東は記者会見で、「確認ミス」でさまざまな事実誤認が起こったと釈明し、捜査の映像は事後に撮影したものだと認めたうえで、「再現」というテロップを入れなければいけなかったが「確認漏れ」だったと謝罪した。

これは、現場の制作会社側と局のプロデューサー間の意思疎通、コミュニケーションが取れていなかったからである。さらなる記者会見での説明では、番組内で施された演出は「リアルな状況をお伝えする」「分かりやすさ」の上でのものだったと述べたというが、これも単なる「言い逃れ」に過ぎないと思われてしまった可能性がある。「『再現』というテロップを入れたら『リアルさが損なわれ』『わかりにくく』なるのか」という反論が成り立つからだ。

テレ東は他局に比べて正社員である局員の数が6割くらいしかいない。そのため制作会社などの外の力を借りないと番組制作を維持してゆけない。それだけに制作会社との意思疎通は密におこなっているほうだと、OBの私には充分に理解できる。

しかし、今回のテレ東の記者会見の様子からは、苦し紛れの方便を重ねているようにしか感じられなかった。

テレビ局と制作会社の関係を見直す必要がある

テレビ局と制作会社の関係は早急な見直しが必要だ。外注番組はどうしても責任の所在があいまいになる。ともすれば、現場である制作会社に責任を押しつけてしまうきらいがある。「局員がその場にいなかったから、真相はわからない」と言えてしまうからだ。

しかし、テレビ局は「電波を発している」という責任と自覚を持たなければならない。仕事がなくなったら困る制作会社が張り切りすぎて、過剰な演出をおこなってしまうこともある。そんな可能性を想像する必要がある。

もしコミュニケーションを密に取っていれば、現場がいまどんなことに悩んでいるのか、どんな問題にぶち当たっているのかがわかる。そうすれば、度が過ぎた表現や演出にも気がつくはずだ。