過去には以下のような事案がそのようなケースに該当する。どれも読者の皆さんがご存知の出来事ではないだろうか。
・2019年8月に放送されたTBSの番組「クレイジージャーニー」内で、事前に準備した動物をあたかもその場で発見して捕獲したかのように見せる不適切な演出が放送された
・2021年3月に放送された日本テレビの情報番組「スッキリ」内で、アイヌ民族への不適切な発言が放送された
・2020年5月に、フジテレビのリアリティ番組「テラスハウス」に出演中だったプロレスラーの木村花氏がSNS等で誹謗中傷されたことを理由に自ら命を絶った
そのような事情から、今回のテレ東の「激録・警察密着24時‼」の成り行きを、当事者のみならず民放各社も固唾をのんで見守っているのである。
なぜテレビは警察密着番組を好んで流すのか
今回の「激録・警察密着24時‼」の件には、「警察密着モノ」の番組が内包するさまざまな問題や「闇」が隠されている。その根底には、私がこれまでプレジデントオンラインの論考で指摘してきたテレビ局の「性癖」とも言える構造的欠陥があるのだ。
なぜ、テレビ局は「警察密着モノ」を流すのか。そして「警察密着モノ」がこんなに長い間続いてきたのはなぜなのか。それらの疑問を突き詰めることで、そのテレビ局の構造的欠陥に迫ってみたい。
テレビ局が「警察密着モノ」を好んで流す理由は、以下の3つである。
理由② 視聴者の不安をあおることができる
理由③ 警察に「おんぶにだっこ」ができる
①と②は、視聴率を上げるためにおこなわれる。まず①「視聴者の留飲を下げることができる」についてだが、読者の皆さんは、テレビのニュース番組でよく「○○事件の犯人は○○でした」といった表現を目にするだろう。
凶悪な事件の結末をセンセーショナルに報道し、かき立て、世間の耳目を集めるのがその手法だ。これを見た多くの視聴者は「あの事件もついに解決したか」とか、「ようやく犯人が捕まった」と安堵の胸をなでおろす。同時に「ざまあみろ」や「結局、逃げ切れないで捕まったな」と思って溜飲を下げるのである。
問題はここにある。拙著『混沌時代の新・テレビ論』(ポプラ新書刊)でも述べたが、テレビの性癖について再度、押さえ直しをしておきたい。
あおり、演出で自由に味付けができる
テレビは被疑者が警察に逮捕された事実のみでその被疑者を犯罪者と決めつけ、事件はそれで終了したかのように扱う。
実際にはその被疑者が犯人かどうかは、その後の取調べや裁判などのプロセスを経て初めて判明するはずだ。被疑者の段階では、誰が犯罪者かは警察にすらわからないのである。
そうであるにもかかわらず、テレビは被疑者を犯罪者として扱って曖昧なニュースソースによる情報を発信することで世間の注意を引いて、勝手な解釈を押しつける。その結果、多くの視聴者はそれを信用してテレビの解釈を「事実」として受け止める。
今回の「警察密着モノ」もその手法で作られている。大げさなあおりや過激な演出で味つけされた番組を見せられると、視聴者は捕まった人間が単に被疑者であったとしても「こんな悪い奴は捕まってよかった」と思う。
完全に頭の中には「こいつは犯人だ」という意識しかない。しかも、その犯人を捕まえてくれるのは、「正義の味方」の警察だ。それが、勝手な解釈を「事実」に変えてしまう魔法たるゆえんである。