正しいことを言うことは相手を傷つけるということ

言いたいことがあったら言ってもいい。しかし、それはチョコレートでくるめ。

映画監督のビリー・ワイルダーが語っていました。

映画は、あくまでエンターテインメント、娯楽なんだ。なによりも、観客を楽しませろ。映画の話術で、魔法にかけろ。映画館に客を呼んでこい。そうでないと、次の作品なんかないぞ。映画作りは、カネがかかるんだ。

ワイルダーはノンポリの監督などではありません。ときの権力にむかって辛辣な皮肉を飛ばしています。わたしはワイルダー監督では『フロント・ページ』がいちばん好きなんですが、あれは、共産主義者への不当な弾圧に抗議した映画です。しかし、そんなこと表に出さない。警察権力やマスメディア批判も、後景にある。でも、とにかく笑わせるんです。そのころ知識層に絶大な影響力を持っていたフロイト心理学を、散々おちょくっている。

大上段に振りかぶって、政治的演説なんかしない。エンターテインする。楽しませる。言いたいことがあったら、チョコにくるめ。

二人が睦まじくいるためには 愚かでいるほうがいい
立派すぎないほうがいい
立派すぎることは 長持ちしないことだと気付いているほうがいい
(略)
正しいことを言うときは 少しひかえめにするほうがいい
正しいことを言うときは 相手を傷つけやすいものだと
気付いているほうがいい
(吉野弘「祝婚歌」)

表現者にとって遊びは必須

これだと思うんです。あらゆる表現者にとってのコーナーストーンです。新聞記者、テレビ記者も、銘肝牢記めいかんろうきしろ。

詩を読め。映画を見ろ。音楽を聴け。落語や浪曲や歌舞伎を見にいけ。

つまり、遊べって話なんです。

近藤康太郎『ワーク・イズ・ライフ 宇宙一チャラい仕事論』(CCCメディアハウス)
近藤康太郎『ワーク・イズ・ライフ 宇宙一チャラい仕事論』(CCCメディアハウス)

遊んでないやつは、正しいかもしれないけれど、つまらないから。おもんないやつになってしまうから。

表現者にとって、〈遊び〉は必須です。表現者にとって必須ということは、現代に生きるほとんどすべての人間にとっても必須。〈仕事〉は、畢竟ひっきょう、表現なんですから。

そして、〈遊び〉と〈勉強〉は違う。

〈勉強〉とは、〈仕事〉に直接的に役立つものだ。しかし〈遊び〉は、〈仕事〉と関係あってはいけないんです。〈仕事〉と〈遊び〉は、遠いところにあるものでなければ、だめなんです。

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