「遊び」がだんだん「勉強」になる

たとえば音楽は、わたしにとって、いまは〈仕事〉になっています。原稿を書いて、おカネをもらってますからね。

でも、ものを書き始めた当初、音楽はわたしにとって〈遊び〉でした。音楽についてわたしになにか書いてくれなんていう人は、一人もいなかったから。わたし自身、二十代のころ、自分が音楽評論家になれるなんて想像もしていなかった。なにしろ、専門分野のない「なんでも屋」、基本的には事件記者でしたからね。

ただ、バンドをしていた学生時代の延長で、音楽で遊んではいたんです。ふつうの人よりも、ずっと多く音楽を聴いていた。LPやCDを集めていた。カセットテープにコピーしていた。

そのうち、強迫観念的にライブを観るようにもなりました。ほとんど病的。毎晩、ライブに行く。どんなに忙しくても、行く。

そうすると、いままでのような音楽の聴き方じゃだめだと分かるんです。たとえばロックでも、好きなバンドだけを聴いていた。自分のすでに知っているものを聴いていたんですね。

音楽でも、古典を聴かなければウイングが広がっていかない。歴史順に、地域別に、時代背景や土地の特性、風土を理解しながら聴く。古いものから聴く。

ここでリストが登場するわけです。

ロックでもソウルでもジャズでも、必聴盤リストはいくらもあります。それを、片端から潰していく。好きでも嫌いでも、分かっても分からなくても、蛍光ペン片手に聴きまくる。聴いたらリストに蛍光ペンで印をつけるんです。

これは、もう、〈勉強〉ですよね。〈遊び〉が、だんだん〈勉強〉に接近し始める。

最終的には「仕事」になる

勉強すればするほど、もっと深く知りたくなる。古い音楽を知ると、新しい音楽が、より好きになる。かび臭いと思っていた昔のR&Bや黎明期ロックンロール、オールディーズを聴いて、いまの、激しいビートのロック、派手な音響効果を使った現代的なダンスミュージックのよさが、より深く分かる。

こんなことをしていると、いずれ〈仕事〉になるのは時間の問題です。必然と言っていい。世界は、そのようにできている。熱量のある人は見逃されません。

大三角とは、こういう働きをするんです。〈遊び〉が〈勉強〉になって、〈勉強〉が〈仕事〉になる。