器を広げて運を呼び込め
権力を握るノウハウはないが、運をよくする方法はある。それは自分を磨き、器を広げ、ビジネスパーソンとしての価値を高めることだ。そういう人間は取引先から信頼され、周囲の人望も厚くなる。そうすると孟子が「天授け人与う」といったように、追わなくてもその人にふさわしい地位が、自ずと与えられるようになるのだ。
だが、そうはいっても、やはり運、不運からは逃れられない。諸葛亮孔明は長らく不遇をかこっていたが、劉備玄徳から三顧の礼をもって迎えられた後に大宰相となった。もうひとり、劉備に仕えたホウ統は諸葛亮に匹敵するほどの能力の持ち主だったが、こちらは世に出ることなく一生を終えている。有能だから必ず権力が手に入るということではないのである。
自分の努力や能力が正当に評価されないというのはたいへん苦しいことだが、これはそういう状況を受け入れるしかない。清国の政治家だった曽国藩も、冷遇に耐え、苦しみに耐え、忙しさに耐え、暇に耐えなければ大事をなすことはできないといっている。すべてが理想どおり進むわけはないのだ。
もちろん上司に意見をしてもいいが、その場合は思ったことをストレートにぶつける「直諫(ちょっかん)」よりも、たとえ話などを用いた「諷諫(ふうかん)」でいくほうがいいだろう。また、自分に自信があるなら、こちらから上司を見切って組織を飛び出すのも悪いことではない。
一方、上司にとって大事なのは、有能な部下を集め、適材適所に配置することに尽きる。その際、部下を信用して任せることができるかどうかで、その上司の器量を測ることができる。逆にいえば、任せられる部下を選ぶことができるのが、才能あるリーダーなのだ。そして、成果を挙げたらきちんと褒めることも忘れてはならない。
「やってみせ、言って聞かせて、させてみせ、ほめてやらねば人は動かじ」といったのは山本五十六だが、これこそがリーダーとしての正しい姿なのである。
さらに、会社の中だけを見ていてはリーダーは務まらない。社会をどう変えていくのかといった情報を、SNSなどを使って発信していくのもリーダーの使命である。あとは知力、気力、体力。この3つは的確な判断を下すためになくてはならない。とくに健全な精神と健康な肉体は、日々激務に追われるリーダーにとって不可欠だ。
これらのことを意識して日々努力しても権力者になれなかったなら、そのときは「楽天知命、故不憂」(天を楽しみ命を知る、故に憂えず)、自分の天命だと思えばいい。憂えることはないのだ。
北尾吉孝
1951年生まれ。74年慶應義塾大学経済学部卒業後、野村証券入社。ケンブリッジ大学経済学部卒。99年より現職。