これまでの「残念な復元城」とはまったく違う
同じ兵庫県、それも同じ播磨(南西部)には姫路城もある。赤穂城はどうしても比較の対象になってしまう。だが、じつは赤穂城も、世界遺産の姫路城とくらべると分が悪いとはいえ、かなりの歴史的価値がある。
昨今、城跡の整備に力を入れる自治体が増えてきた。そんななか、赤穂市および兵庫県による史跡整備は、全国でも例外といえるほど徹底している。いったんは破壊が進んだ城であっても、やる気になればここまで戻せるのか、と勇気づけられる。
天守や櫓、あるいは門の復元など、「点」にかぎられた整備は多いが、赤穂城は「面」の整備に力が入れられている。訪れた人は、城域全体を歩いて楽しみ、広大な城郭の姿を堪能できる。その点では、多くの建造物が広域に現存して「面」を楽しめる姫路城に近い。
たとえば小倉城(北九州市小倉北区)は、二の丸跡に派手な色彩の奇抜な建物が衝立のように並び、歴史的景観を暴力的に破壊している。しかも、その建物には放送局や新聞社、劇場といった、公共性が高く文化に理解があるはずの組織が入っており、日本の「文化度」を思い知らされる。
日本にはそんな城が非常に多いだけに、赤穂城を見ると救われた気持ちになる。
赤穂城が有名なのは、やはり四十七士のおかげだろう。有名だからこそ整備計画が進んだのだとすれば、赤穂浪士たちの行動は、浅野家の名と城を今日にまで伝えることにつながったという点でも、報れていたのかもしれない。