結果を自分で引き受ける「自責」が成功を生む

コンサルタントとして多くの経営者と向き合い、「成功する人」と「しない人」の両方を見てきました。その違いとして感じるのは、「自責の覚悟」ではないかと考えています。

企業経営者の中には、「コンサルタント」=「正解を教えてくれる先生」と勘違いしている人がいます。彼らは「これはどちらを選ぶべきですか」「私はどうしたらいいでしょう」と、選択と決断を丸投げしてきます。

しかし、コンサルタントは予言者でも教師でもありません。様々な選択肢は提示しますが、最終的に決断するのは経営者。それが理解できない人に限って「私は反対だったのに富田さんが言うから仕方なく従っただけ」と後から文句を言ってきます。

「先生に言われたから」「親に言われたから」「上司に言われたから」……これらは一見真面目なようで、実は「結果を引き受ける覚悟がない」ということ。決断も結果も人任せという未熟な人が、熱量高く目の前の課題に取り組み、従業員や顧客からの共感や支援を集められるのでしょうか。

一方「自責」の人は、「最後に決めるのは自分」ということを前提に動いています。いわば背水の陣ですから、失敗しても誰のせいにもできません。当然、仕事に対する必死さも違いますし、そうした熱意は必ず周囲にも伝わります。赤字続きで従業員の給料を払うだけで精一杯、岩にかじりつくように努力した結果、10年後に年商数億円規模の成果を達成した……というようなサクセスストーリーの裏には、「ビジネスわがまま」×「自責」の覚悟が隠れているのです。

昨今は「ゼブラ企業」と呼ばれる「企業利益」と「社会貢献」という、一見相反する2つを両立する企業モデルが注目されています。成長性や時価総額がマイルストーンとなるユニコーン企業とは異なり、社会貢献と利益の双方を目指す「ゼブラ企業」は、特に若い世代の共感を得ています。

「斜陽産業と化した地場産業を再び活性化させたい」「需要は少ないが、困っている人を助けるサービスをつくりたい」などの思いは、“常識”ある経験者たちの目には「無謀」「世間知らず」に映るでしょう。

しかし、「これをやりたい!」という欲望ほど強いものはありません。また自分でやりたいと言って始めた以上、「自責」にならざるをえない。こうした経営者は一度や二度失敗しても、再び立ち上がって前に進んでいくのです。

「やりたくないことをやらない」もアリ

最近は副業や独立、フリーランスや起業家も増えています。そうした人々も周囲から「独立は危険だよ」「安定を手放すのか」と“助言”されるかもしれません。でも、その意見は本当に正しいのでしょうか。人生を終える瞬間、「あのとき周囲に反対されたから諦めたんだよな……」と後悔しても始まらないのです。

人生100年時代といわれ、70代でも働くことが常態化する時代、「わがまま」であることは、これまで以上に重要な要素になってきます。ずっと「上司のせい」「会社のせい」で他責に生きる人生は、悲しすぎませんか。

そうはいっても特別やりたいことなんてない、貫きたい「我」も理想もないよ、なんて声も聞こえてきそうです。そういう場合は「これだけはやりたくない」ことを探してみてはどうでしょう。「毎日の出社が耐えがたい」「環境に負荷をかけ続ける産業の一員でいるのが耐えがたい」など。高邁な理想を持つ人は少数派でも、「やりたくないこと」は誰にでもあるはずです。

かくいう私も、別に理想に燃えて独立したわけではなく、会社勤めに疑問を抱き、一度離れてみようと消極的に独立したのが人生を変える転機になりました。「やりたくないことはやらない」という決意も、案外大切な「わがまま」になりえるのです。