「高校、大学でさぼった分、選挙は徹底的にやりました」

そこで法律を勉強し直そうと、大学を卒業した1967年春におやじの母校の日大の大学院(法学研究科)に入りました。何をするにしても、司法試験に合格していれば、食いっぱぐれがない、生活の不安がなくなるから、政治家だろうがサラリーマンだろうが、何にでもなれる。そう思って大学院では猛烈に勉強しました。

翌年の択一試験(司法試験の1次試験)に受かった。択一に受かれば論文試験に大概は受かると言われていました。1年で択一取れる者はほぼいないと大学の先生もびっくりしていましたね。ところが、1次試験の合格発表直前におやじが亡くなった。5月8日に亡くなって、12日が合格発表だった。もっと早く、亡くなる前に知らせてやりたかった。

だから、真剣に勉強したのは中学3年と日大の大学院のときですね。その猛勉強の結果として1年間で飛躍的な成果が出たけれど、その後はずるずると選挙の話になって、その年の暮れにはもう選挙運動に入ってしまった。

だけど、高校、大学でさぼった分、選挙は徹底してやりました。政治家になって初めのうちは、失敗もヘチマもない。通常国会が終わった7~8月に、選挙区内を1日に2カ所も3カ所も歩いては酒飲んで、また飲んでは歩いた。それを10年以上続けたから、今の秘書たちよりもはるかに地元のことを知っています。

小沢一郎氏
撮影=遠藤素子
父の地盤を引き継ぎ、衆議院旧岩手2区から立候補した。大学院での学生生活から一気に選挙活動に突入した。

初当選直後に「議員を辞めよう」と思った

小さな集落まで全部回ったが、今どきの政治家はここまでやらない。これはオヤジ(政治の師と仰ぐ田中角栄元首相)の教えでもあるんだけど、地盤を固めないと仕事にならんという自分の思いも強かった。そうやって次第に選挙の基盤をつくり、中央での仕事も任されるようになっていきました。

小沢の政治生活は最初から波乱の連続だった。1969年12月に行われた衆院議員総選挙で自民党から出馬し、初当選した直後、思わぬ事態が小沢を襲う。

これは失敗ではないんだけど、27歳で当選して年が明けてからかな。甲状腺がんだと分かったんです。喉元にコロコロと肉団子みたいなものができてね。何だろう、何だろうって調べたらがんだった。

体の調子は良くなっていたんだけど、声がまだ出ない。地元から応援演説に来てくれと言うのを断っていたのですが、もう声が出なかったら議員を辞めるしかないと思っていました。街頭で思い切って大きな声を出したら、出たんですね。それで議員を続けられた。