「人っていうのは分からんもんだね」

オヤジのおかげで総理になれて偉そうにしている人が、オヤジが苦しい時の頼みを聞かない……。本当にこの人は絶対に信用できないと思った。同時に、僕は誰でも信用するほうだから、自分も気を付けなければならないと感じた。その後も、また騙されたり裏切られたりするんですが、その時は痛切に思いました。人っていうのは分からんもんだね。

小沢一郎氏
撮影=遠藤素子
インタビューに応じる小沢一郎さん。

――政治の世界は、裏切ったり、約束を反故にしたりすることが多い印象です。

ちょっとしたウソはあっても、土下座までして頼んだ相手を裏切ることは、そうそうあるもんじゃない。政治の人間関係は、こういうものかと思って気を付けてきたけど、その後もいろいろと裏切りにはあいました。自分の性格を基準にして考えるからかな。

――小沢さんが裏切ったということはないのでしょうか。

僕は人を裏切らないよ。恩義、信義は守るし、約束は絶対に守る。ダメなことはダメって言うからね、僕は。

1度目の政権交代の失敗

失敗や挫折を繰り返しながらも、小沢は政治家としての実力を着実につけていった。やがて政局のキーマンとなり、1993年には自民党を割って非自民勢力を糾合し、細川護熙政権を樹立。悲願だった小選挙区制の導入に漕ぎ着ける。だが、その後求心力を失った細川政権は瓦解し、ついに94年、自民・社会・さきがけの村山富市政権によって自民党の政権奪還を許すことになった。その結果を小沢は「政治的に最大の失敗だった」と振り返る。

政治的に大きな失敗は、自社さ政権の発足です。これこそは……、本当に信じられなかった。自社の両方からうすうす聞いてはいたけど、まさかと思いました。

あの頃、細川連立政権の中で不満が溜まっていた社会党(筆者註:コメの自由化、小選挙区制度などの強硬な反対派が、水面下で自民党との連携を強めていた)がパタパタと動揺していたのは分かってはいたけど、まさか、ずっと対立してきた自民党に担がれて総理を出すなんて。

村山さんは今年で100歳を迎えたというけど、お天道さまがどう思うでしょうか。自民党も自民党だけど、社会党も社会党。担がれてポストを得た社会党は2年もたたずに滅んでしまい、村山さん1人が生き残って、あとは全員ダメになった。このことは僕たちにとっても非常に大きな失敗でした。

「そこが自民党のすごいところなんです」

もう少し社会党議員の心理を考えてやれば自民党に政権を奪われることはなかったと思う。細川政権が退陣した後に社会党の首班を立ててもよかった。だけど、連立する仲間の議員は、誰も「社会党首班(村山)がいい」なんて言わなかったんですよ(笑)。

小沢一郎氏
撮影=遠藤素子
1度目の政権交代は、自社の連立によって終わった。

むしろそこが自民党のすごいところなんです。何が何でも権力を取る、そのためには手段を選ばない。その良し悪しは別にして、権力闘争とはこういうものなんだということを自民党の姿勢から学ばないといけない。

それに比べたら立憲民主党も含めて今の野党なんて赤ちゃんみたいなもの。「対決よりも解決」なんて言ってますが、そんなの小学生か中学生の遊びみたいなものです。