見方が変わるのが楽しい

石巻の復興商店街の一角。

仙台高専3年の沼倉寛人さん。「TOMODACHIサマー2012 ソフトバンク・リーダーシップ・プログラム」の3週間から帰ってきて、変化したことは何ですか。

「学校の先生の見方が変わった感じでしたね。もともと、先生ってあんまり意識してなかったんですけど。最近高専で、地域の小学校とかに、理科の実験を教えに行く『リカレンジャー』って出張サービスがあるんですよ。それに参加するようになって、先生とより関わるようになって。いつもは黒板に向かってたり、実験室で話聞くだけだけど、なんか『あ、普通の人間なんだな』って。先生たちも、今もやりたいことがいっぱいあるっていうことがわかって。有機化学をやってる先生は、学校で教えながら『将来は、有機使って脳科学のほうに行きたいなぁ』って。そういうの聞くと『あ、有機化学って、そういう方向にも行けるんだな』って知って。テスト勉強に有機が出てくると『俺、飛行機も作りたいけど、製薬も面白そうだわ』って思ったりするようになりました。見方が変わるのがなんか楽しいです」

変化は今も続いている。12月に入ってから、沼倉さんはあらたな資格を手に入れた。「工業英検3級、合格しました!」。公益社団法人日本工業英語協会が主催する、エンジニア用の英検だ。

そして沼倉さんからは、連載を読むうちに「もしかして地元で成功、もしくは地元の活性化をしたいって人、多いのかなと」思ったというメールももらっている。

「取材当初は、飛行機をつくれる仕事に就きたいと思っていました。それは今も変わっていません。でも俺は多趣味な性格なので、若年起業家の話を聞いていて、起業にも興味を持ちました。この間、TVで個人起業家のインタビューを見たんです。それからより一層、起業してみたいと思うようになりました。『手軽に農薬散布にも使えるラジコン』とか『廃番のバイクや車などの部品』とかの製造。実現できるのか、需要があるのかわからないんですが、『あれがあればいいのに』を生み出す工場——というか工房を、一旦就職して、地元に戻って持ちたいなと思ってます」

学生寮で暮らす沼倉さんの実家は、石巻に北で隣接する内陸の水田地帯、登米市だ。最大震度は6強。沼倉さんには実家周辺の被災状況を訊いておきたかった。

「自宅は一部破損で、半壊に至らないという診断でした。近くでは全壊した家もあり、それを考えるとラッキーだったと思います。ただ、言ってしまうと、中途半端が一番辛いというものもあります。半壊と一部破損との診断の違いで、対応というか手当てがけっこう違うものですから。いろいろ直すのも大変です。佐沼(注・登米市の中心部)などでは、もともとが沼地であっただけに地面が下がってマンホールが突き出たり、電信柱が倒れたりしました。陥没した道路は、まだ整備されていないところも多くあります。地震後もたびたび母方の実家の登米(とよま)町に行ってるんですけど、こちらはこちらで歴史的な建物が多いだけに倒壊などが多かったようです」

登米市も石巻と同時期に「平成の大合併」で現在の市域となった。旧登米町は合併した9町のひとつで、明治時代からの建築物が多く残っていた。だが、この内陸の町の被災状況は全国にはほとんど知られていない。

次に話を聞いたのは、こちらがひそかに「ミスター具体的」とあだ名を付けた看護士志望の高校生だ。