なぜ、人は昔から「虫のお墓」を作るのか
来る6月4日は「虫の日」だ。昆虫が活発的に蠢めく時期でもある。同時にこの時期には、無数の小さな命が失われる。日本人の宗教観では、虫の命とて無碍にしない。小動物への慈しみの心は、各地の「虫塚」と呼ばれる石塔として残されている。本稿では首都圏の虫塚を紹介する。大型連休に、虫塚を訪ね歩くのも一興かもしれない。
仏教では、このシーズン「夏安居」という習慣がある。這い出てくる昆虫や小動物への殺生を避けるため、特に雨期には僧侶はあまり出歩かずに、寺に籠って修行するのだ。「足元の弱者」にも、最大限の気配りをするということであろう。究極の「慈悲の実践」ともいえる。
これをカタチにしたものが虫塚だ。古来より虫塚は立てられ、全国各地にある。アリやムカデ、バッタ、セミ、トンボ、ハチ、チョウなど特定の種を弔う虫塚もあれば、小動物をひっくるめて虫塚にして祀ることもある。虫塚の目的はさまざま。農業のために駆除された害虫を慰霊するケース、教育や研究の犠牲になった虫を弔うケース、人間生活に有益な昆虫を顕彰するケースなどがある。
現存する虫塚で最古のものは、東京都八王子市の臨済宗南禅寺派の廣園寺境内にあるものだ。廣園寺は1390(康応2)年に開山した古刹である。虫塚は創建当時に立てられたと伝えられている。
廣園寺の境内地は時間が止まったかのような静寂をたたえる杜になっている。江戸時代には寺領53万坪を誇り、40カ寺以上の塔頭寺院を抱える地域の大寺であった。
境内の片隅に、円柱型の虫塚がある。高さは90cmほどだ。下部3分の1ほどが太くなったつくりで、まるでロケットのような形状をしている。銘文が彫られているかどうかも分からないほど風化しており、相当古い石碑であることは分かる。
廣園寺が開かれたのが14世紀末。地域では田畑の収穫時期になると大量の虫がつき、生育の妨げになっていたという。村人たちはそれを憂い、なんとか被害を抑えたいと廣園寺の初代住職峻翁令山に祈祷を頼んだ。
峻翁が「それは難儀。悪い虫を退治しよう」と祈祷を始めると、害虫はことごとく死に絶えたという。しかし、害虫とて、生きとし生ける存在。村人は後生を弔うために、死骸を集めて廣園寺境内に埋葬した。そして、再び虫による被害がでないようにと、石塚をつくって祈願したという。